2026-08

戦い・事件

【戦い・事件編】南都焼討――平重衡、東大寺と興福寺を焼く

治承4年(1180年)12月28日。奈良の北側、奈良坂と般若寺の周辺では朝から戦いが続いていた。京都から南下してきた平氏の軍勢を率いるのは、平清盛の五男・平重衡。数え24歳である。迎え撃つ南都側は、興福寺を中心とする大衆だった。奈良へ通じる...
戦い・事件

【戦い・事件編】金砂城の戦い――平氏を追わず「坂東平定」へ、源頼朝が佐竹氏を攻める

治承4年(1180)10月20日、駿河国の富士川から平維盛の追討軍が退いていった。源頼朝はそのまま西へ進み、京都を目指そうとした。ところが、千葉常胤・上総広常・三浦義澄ら東国の武士たちは、これに反対した。鎌倉へ入ったばかりの頼朝には、まだ従...
戦い・事件

【戦い・事件編】富士川の戦い――石橋山で大敗した頼朝、平家追討軍と本格的な初戦

治承4年(1180年)10月20日の夜、駿河国を流れる富士川の西岸に平氏の追討軍がいた。大将は平維盛。前年に亡くなった平重盛の嫡男で、数え23歳になる。平忠度、平知度ら一門の武将が従い、軍勢の実務を伊藤忠清が担っていた。東には源頼朝が迫って...
戦い・事件

【戦い・事件編】石橋山の戦い――20年耐えた源頼朝、最初の挙兵はなぜ大敗したのか?

治承4年(1180年)8月23日、相模国石橋山。山の斜面に陣を取った源頼朝の軍勢は、『吾妻鏡』によれば300余騎だった。谷を一つ隔てた向こうには大庭景親の3000余騎。さらに伊豆から追ってきた伊東祐親300余騎が後方の山へ回っている。頼朝が...
人物

【人物編Vol.56】平清盛――武士で初めて太政大臣となった男が築いた「平氏の時代」

治承4年(1180年)11月11日、数え3歳の安徳天皇が福原の新しい内裏へ入った。京都を出てから、すでに5か月が過ぎている。天皇が最初に身を寄せたのは平頼盛の邸で、新しい御所はまだ影も形もなかった。ようやく内裏が整ったころ、東国では源頼朝が...
戦い・事件

【戦い・事件編】福原遷都――わずか半年で終わった、平清盛「海の都」の計画

治承4年(1180年)5月26日、宇治で平氏軍が勝利した。源頼政は平等院で自害し、以仁王も奈良へ向かう途中の南山城で命を落とす。園城寺を巻き込んだ反乱は、ひとまず鎮圧された。それから7日後の6月2日。安徳天皇、高倉上皇、後白河法皇が京都を出...
人物

【人物編Vol.55】以仁王――親王になれなかった皇子が、平氏追討の火をつけるまで

治承4年(1180年)5月26日、以仁王は奈良へ向かって南山城を走っていた。前夜に園城寺を出て、宇治では追ってきた平氏軍と戦っている。源頼政は平等院に残り、一族とともに最期を迎えた。以仁王はさらに南へ進み、援軍が期待できる興福寺を目指した。...
人物

【人物編Vol.54】源頼政――平清盛の時代を生き抜いた77歳の老将は、なぜ最後に平氏を裏切ったのか?

治承4年(1180年)5月、京都では園城寺を攻める軍勢の編成が進んでいた。後白河法皇の皇子・以仁王が寺へ逃げ込み、平氏追討を掲げたのである。追討軍には平宗盛、知盛、重衡、維盛ら平氏一門が並び、その中に源頼政の名もあった。頼政は数え77歳。平...
人物

【人物編Vol.54】中川清秀――荒木村重を見限り、秀吉に賭け、賤ヶ岳に散った茨木城主

天正11年(1583年)4月20日、近江の大岩山に柴田勝家方の軍勢が迫った。砦を守るのは中川清秀。摂津茨木城主、数え42歳である。攻めてきた佐久間盛政は、秀吉が美濃方面へ兵を動かした隙を突き、賤ヶ岳周辺の陣地へ攻撃を仕掛けた。前面に位置する...
戦い・事件

【戦い・事件編】以仁王の挙兵――77歳の源頼政、宇治橋で平氏に挑む

治承4年(1180年)5月26日、源頼政は宇治の平等院で最期を迎えた。数え77歳。2年前には従三位に昇り、「源三位」と呼ばれた老将である。保元の乱では後白河天皇方、平治の乱では最終的に平清盛方につき、河内源氏が京都から消えたあとも朝廷に残っ...
タイトルとURLをコピーしました