2026-09

人物

【人物編Vol.60】木曾義仲(源義仲)――倶利伽羅峠で平家を破り、31歳で粟津に散った源氏の武将

寿永3年(1184)1月20日。近江国粟津。京都から退いた一人の武将が、頼朝方の追撃を受けて討たれた。木曾義仲。数え31歳だった。そのわずか半年前。義仲は北陸から京都へ迫り、平家一門を都落ちへ追い込むほどの勢力を築いていた。倶利伽羅峠で平家...
戦い・事件

【戦い・事件編】粟津の戦い――木曾義仲VS頼朝方、今井兼平・巴御前と迎えた最期

寿永3年(1184)1月20日。宇治と瀬田の防衛線を突破された木曾義仲は、京都を離れた。前年7月。平家を都から退かせる形で京都へ入った義仲は、わずか半年ほどでその支配を失ったのである。義仲が向かったのは近江国だった。しかし、頼朝方の追撃は止...
戦い・事件

【戦い・事件編】宇治川の戦い――源義経・範頼VS木曾義仲、京都をめぐる源氏同士の決戦

寿永3年(1184)1月20日。京都へ続く二つの重要な道で、木曾義仲の運命を大きく変える戦いが始まった。山城国・宇治。近江国・瀬田。東国から迫ってきたのは、源頼朝が送り込んだ軍勢である。宇治方面を進む源義経。瀬田方面を進む源範頼。迎え撃つの...
戦い・事件

【戦い・事件編】法住寺合戦――木曾義仲はなぜ後白河法皇を襲ったのか? 1183年、院御所を焼いた京都決戦

1183年11月、木曾義仲は後白河法皇の院御所・法住寺殿を攻撃した。平家を京都から退かせた義仲は、なぜ朝廷へ武力を向けたのか。源頼朝との対立、寿永二年十月宣旨、法住寺合戦の激戦、後白河法皇の拘束まで詳しく解説する。寿永2年(1183)11月...
戦い・事件

【戦い・事件編】室山の戦い――源行家はなぜ大敗した?平氏2万騎「五段構え」の包囲戦

寿永2年(1183年)11月、播磨国の室山。源行家は数百騎を率い、西国で勢力を盛り返していた平氏軍と対峙した。平氏が京都を離れてから、まだ4か月ほどしか経っていない。5月の倶利伽羅峠の戦いで大敗し、7月には安徳天皇と三種の神器を奉じて都落ち...
人物

【人物編 Vol.59】織田信雄――なぜ『無能な信長の次男』と呼ばれたのか? 小牧・長久手から晩年まで

1584年4月9日。尾張東部の長久手で、羽柴秀吉方の軍勢が徳川家康の軍に敗れた。池田恒興、池田元助、森長可らが討死。秀吉方は約2500人を失ったとされる。小牧・長久手の戦いで最も有名な戦闘である。現在では「秀吉対家康」の戦いとして知られてい...
戦い・事件

【戦い・事件編】水島の戦い――日食で空が暗転、都落ちした平氏が木曾義仲軍を破った海戦

寿永2年(1183年)閏10月1日、備中国水島。現在の岡山県倉敷市玉島付近の海上に、木曾義仲方と平氏の船団が向かい合った。『平家物語』では、義仲方の船は500余艘。これに対して平氏は1000余艘を繰り出したと記される。遠ければ弓を射かけ、船...
戦い・事件

【戦い・事件編】平氏の都落ち――安徳天皇と三種の神器を連れ、京都を去った平家一門

寿永2年(1183年)7月25日。平氏一門は京都を去った。一門が奉じたのは、数え6歳の安徳天皇である。内侍所(神鏡)・宝剣・神璽の三種の神器も、ともに京都を離れた。平清盛が亡くなってから2年。安徳天皇の外戚である平氏は、なお朝廷の中枢にあっ...
戦い・事件

【戦い・事件編】篠原の戦い――平氏軍、北陸で崩壊 斎藤実盛の最期

寿永2年(1183年)5月、倶利伽羅峠で敗れた平氏軍は加賀へ退いた。木曾義仲はその後を追う。平氏の北陸追討軍は4月に京都を出発し、越前の火打城を攻略して加賀、さらに越中へ進んでいた。『平家物語』では、出陣時の軍勢を10万余騎と記している。5...
人物

【人物編Vol.58】森長可――27歳で長久手に散った猛将「鬼武蔵」

永禄元年(1558年)、森長可は織田信長の家臣・森可成の次男として生まれた。通称は勝蔵。のちに武蔵守を称し、後世には「鬼武蔵」の異名で知られるようになる。父・可成は、信長が尾張から美濃へ勢力を広げていく時期から仕えた古参家臣だった。森家は美...
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