戦い・事件

【戦い・事件編】昌泰の変―右大臣・菅原道真は、なぜ一夜で大宰府へ送られたのか

――宇多天皇の側近から「謀反人」へ。平安朝廷を揺るがした菅原道真失脚の真相平安時代の人物で、現代の日本人にも最も名前が知られている政治家の一人がいる。菅原道真。 現在では「学問の神様」として知られる。しかし、生前の道真は単なる学者ではない...
戦い・事件

【戦い・事件編】阿衡の紛議――藤原基経はなぜ宇多天皇の政務を止めたのか?

――陽成天皇の退位から、宇多天皇と藤原基経の対立まで元慶の乱が終わった。出羽で起きた大規模な反乱を朝廷が鎮めたのは、元慶2年(878)。そこからわずか9年。平安京では、今度は朝廷の内部で巨大な政治問題が起こる。戦場はない。軍隊も出ない。そ...
人物

【人物編vol.23】藤原保則――「反乱者の言い分は正しい」朝廷にそう言い切った男

―地方を治め、元慶の乱を鎮め、最後は公卿まで上り詰めた官人の生涯平安時代の政治家と聞くと、藤原北家の権力者や天皇、あるいは菅原道真のような学者を思い浮かべる。しかし、平安国家を実際に動かしていたのは、地方へ赴き、税を集め、治安を守り、農業を...
戦い・事件

【戦い・事件編】元慶の乱―蝦夷征討から約70年、なぜ秋田城は再び炎上したのか

――坂上田村麻呂の時代に終わったはずの戦いが、なぜ再び始まったのか坂上田村麻呂が蝦夷征討を進め、胆沢城が築かれ、阿弖流為が降伏した。そして弘仁2年(811)には、文室綿麻呂が爾薩体・幣伊方面を征討した。朝廷による東北支配は大きく前進した。と...
人物

【人物編 Vol.21】道鏡――孝謙上皇の看病から法王へ、宇佐八幡宮神託事件と失脚

宝亀元年(770)8月21日。一人の僧が、平城京を離れることになった。道鏡。わずか4年前には「法王」となり、天皇に準じる特別な待遇を受けていた人物である。しかし8月4日に称徳天皇が亡くなると、その政治的地位は急速に失われた。道鏡は造下野国薬...
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【人物編 Vol.22】和気清麻呂――道鏡と宇佐八幡宮神託事件、平安京遷都まで

神護景雲3年(769)。宇佐八幡宮から都へ戻った一人の官人が、皇位継承に関わる神託を朝廷へ奏上した。和気清麻呂。大宰府から先に伝えられていたのは、法王・道鏡を皇位につければ天下が太平になるという内容だった。しかし清麻呂が宇佐から持ち帰った神...
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【戦い・事件編】賤ヶ岳の戦い・後編――大勝利から一転、敗北へ。柴田勝家の命運を分けたものとは

天正11年(1583)4月。近江北部で羽柴秀吉と柴田勝家が対峙していた。余呉湖周辺には両軍の陣城が並び、戦場は山々と街道を利用した広大な陣地戦となっていた。この均衡を破ったのが、柴田勝家の重臣・佐久間盛政だった。1.秀吉が美濃へ向かった隙4...
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【戦い・事件編】賤ヶ岳の戦い(前編)――勝敗を分けたのは「冬」だった。秀吉が先に動いた理由

――清須会議から、佐久間盛政が大岩山を狙うまで天正10年(1582)6月2日。京都・本能寺。織田信長が明智光秀の軍勢に襲われた。信長は自害。嫡男・織田信忠も二条御所で命を絶った。天下統一を目前にしていた織田家は、わずか一日の間に当主と後継者...
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【戦い・事件編】宇佐八幡宮神託事件――道鏡はなぜ天皇になれなかったのか? 769年、和気清麻呂が持ち帰った神託

神護景雲3年(769)。九州の宇佐八幡から、奈良の朝廷を揺るがす神託がもたらされた。「道鏡を皇位につければ、天下は太平になる」道鏡は皇族ではない。称徳天皇の信任を受け、朝廷で絶大な権力を握っていたとはいえ、その出自は皇統とは無縁だった。その...
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【戦い・事件編】なぜ最高権力者・藤原仲麻呂は8日で敗れたのか?――恵美押勝の乱と764年の政変

天平宝字8年(764)9月18日。琵琶湖西岸の近江国高島郡。かつて朝廷の最高位にまで昇った藤原仲麻呂は、追討軍に追い詰められていた。近江へ進もうとすれば橋を焼かれ、越前へ向かえば関を押さえられる。三尾埼で追討軍に敗れた仲麻呂は、勝野鬼江から...
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