【戦い・事件編】宇佐八幡宮神託事件――道鏡はなぜ天皇になれなかったのか? 769年、和気清麻呂が持ち帰った神託

戦い・事件

第40回

神護景雲3年(769)。

九州の宇佐八幡から、奈良の朝廷を揺るがす神託がもたらされた。

「道鏡を皇位につければ、天下は太平になる」

道鏡は皇族ではない。

称徳天皇の信任を受け、朝廷で絶大な権力を握っていたとはいえ、その出自は皇統とは無縁だった。

その道鏡を、天皇にする。

もし実現すれば、それまでの皇位継承のあり方を大きく揺るがす出来事だった。

称徳天皇は神意を改めて確かめるため、一人の官人を宇佐へ向かわせる。

和気清麻呂である。

そして清麻呂が持ち帰ったとされる神託は、最初のものとは正反対だった。

「天の日嗣は必ず皇緒を立てよ」

皇位は皇統から継承されるべきである――。

清麻呂はその内容を奏上したことで官位を奪われ、遠く大隅国へ流された。

それでも、道鏡が天皇になることはなかった。

なぜ、これほど異例の神託が現れたのか。

道鏡は本当に皇位を狙っていたのか。

そして、なぜ遠く離れた宇佐八幡の神託が、次の天皇をめぐる問題にまで影響したのか。

宇佐八幡宮神託事件は、単なる「道鏡と和気清麻呂の対決」ではない。

奈良時代末期の皇位継承、政治、宗教が一点で交差した事件だった。


1.事件の前提――称徳天皇と道鏡

宇佐八幡宮神託事件を理解するには、まず道鏡がなぜこれほど大きな権力を持っていたのかを見る必要がある。

大きな転機となったのが、天平宝字8年(764)の藤原仲麻呂の乱だった。

当時、孝謙上皇と藤原仲麻呂の対立は決定的になっていた。

仲麻呂は兵を挙げたが敗死する。

その後、孝謙上皇は再び皇位につき、称徳天皇となった。

そして称徳天皇から強い信任を受けていた道鏡の政治的地位が、一気に上昇していく。

道鏡は太政大臣禅師となり、さらに法王に任じられた。

皇族でも藤原氏のような有力貴族でもない僧侶が、国家政治の最高層へ進出したのである。

しかし称徳天皇の治世には、大きな問題が残されていた。

後継者だった。


2.称徳天皇には明確な皇位継承者がいなかった

称徳天皇には子がいなかった。

そして皇太子も置かれていなかった。

つまり、

「称徳天皇の次に誰が天皇になるのか」

が明確になっていなかったのである。

奈良時代の皇位継承は、常に一直線だったわけではない。

皇族の中には複数の候補が存在し、その周囲には有力貴族たちの政治的な思惑も絡んでいた。

そこへ、朝廷で異例の権力を持つ道鏡が現れた。

称徳天皇。

道鏡。

そして、決まっていない次の天皇。

この状況の中で、769年の神託事件は起こった。


3.なぜ宇佐八幡の神託だったのか

事件の舞台となった宇佐八幡は、現在の大分県宇佐市にある。

奈良の都からは遠く離れている。

それでも、その神託を朝廷は無視できなかった。

八幡神は奈良時代にはすでに国家との結びつきを強めていた。

特に東大寺大仏の造立では八幡神が重要な存在となり、朝廷から厚く崇敬されていた。

つまり宇佐八幡は、単なる地方の神ではなかった。

国家と深く結びついた宗教的権威を持つ存在だったのである。

だからこそ、そこから

「道鏡を皇位につければ天下は太平になる」

という神託が届いたことには、大きな政治的意味があった。


4.最初の神託――「道鏡を皇位につければ天下は太平になる」

神護景雲3年(769)。

事件の発端となったのは、大宰府の主神だった習宜阿曾麻呂である。

『続日本紀』によれば、習宜阿曾麻呂は宇佐八幡の神託として、

「道鏡を皇位につければ天下は太平になる」

という趣旨の内容を朝廷へ伝えた。

ここで注意しておきたい。

後世には、道鏡自身が皇位を奪うために偽の神託を作らせたかのようなイメージも広まった。

しかし『続日本紀』の叙述では、最初の神託を伝えた人物として習宜阿曾麻呂が登場する。

同書は、習宜阿曾麻呂が道鏡に取り入ろうとして、八幡神の教えを偽って伝えたという趣旨で記している。

一方、道鏡については、この知らせを聞いて喜んだと記されている。

したがって史料上、

「道鏡自身が最初の神託を偽造した」

と単純に断定することはできない。

ただ、道鏡が自らの即位を肯定する内容を歓迎したと『続日本紀』が伝えていることも、この事件を考えるうえで重要である。


5.称徳天皇は神意をもう一度確かめようとした

最初の神託が届いても、称徳天皇はそのまま道鏡を即位させたわけではなかった。

神意を改めて確認しようとした。

『続日本紀』によれば、八幡大神が尼僧の法均を使者として派遣するよう求めたという趣旨の託宣が伝えられた。

法均とは、和気清麻呂の姉・和気広虫である。

しかし法均は体が弱く、長旅に耐えられなかった。

そこで代わって宇佐へ向かうことになったのが、弟の和気清麻呂だった。

清麻呂は極めて重い役割を背負うことになる。

彼が宇佐からどのような神託を持ち帰るかによって、皇位継承問題そのものが動く可能性があったからである。


6.宇佐へ向かう清麻呂――道鏡が期待した答え

清麻呂が宇佐へ向かう前、道鏡は彼に言葉をかけたと『続日本紀』は伝えている。

その内容からは、道鏡が自らに有利な神託を期待していたことがうかがえる。

さらに、吉報を持ち帰れば官位を授けるという趣旨の言葉もあったとされる。

最初の神託は、

「道鏡を皇位につければ天下は太平になる」

というものだった。

道鏡が期待したのも、その内容を裏付ける神託だったと考えられる。

清麻呂は、その状況で宇佐へ向かった。

そして彼が持ち帰ったとされる答えは、道鏡の期待とはまったく違うものだった。


7.二度目の神託――「天の日嗣は必ず皇緒を立てよ」

清麻呂が宇佐から持ち帰ったとされる神託には、皇位継承について極めて重要な言葉があった。

『続日本紀』には、

「天の日嗣は必ず皇緒を立てよ」

と記されている。

その趣旨は、皇位は皇統から継承されるべきであり、臣下を君主とするべきではない、というものだった。

さらに神託には、道鏡を排除することを求める厳しい内容も含まれていた。

最初の神託は、

「道鏡を皇位につければ天下は太平になる」

というものだった。

それに対し二度目の神託は、

「皇位は皇統から継承せよ」

という方向を示した。

同じ宇佐八幡をめぐって、正反対ともいえる神託が朝廷へ届けられたのである。

清麻呂は奈良へ戻り、その内容を称徳天皇へ奏上した。


8.清麻呂を待っていた苛烈な処分

神託を奏上した清麻呂を待っていたのは、栄達ではなかった。

厳しい処分だった。

清麻呂は官職を解かれ、因幡員外介へ左遷された。

さらに官位を奪われ、籍からも除かれ、大隅国へ配流される。

そして名前まで変えられた。

和気清麻呂から、

「別部穢麻呂」

へ。

姉の和気広虫(法均)も還俗させられ、別部狭虫と改名されたうえで備後国へ流された。

単なる人事異動ではない。

政治的、社会的な立場を徹底的に奪うほどの処分だった。

道鏡の即位を否定する内容の神託を奏上した代償は、それほど大きかったのである。


9.それでも道鏡は天皇にならなかった

清麻呂は処罰された。

しかし、

道鏡が天皇になることもなかった。

最初の神託がそのまま実現することはなく、称徳天皇の在世中に道鏡が皇位につくことはなかったのである。

そして翌年、状況は一変する。

神護景雲4年(770)8月。

称徳天皇が崩御した。

道鏡は最大の政治的後ろ盾を失う。

その後、皇位についたのは白壁王だった。

光仁天皇である。

白壁王は天智天皇の孫にあたる皇族だった。

一方の道鏡は中央政界から退けられ、下野国の下野薬師寺へ移された。

大隅へ流されていた清麻呂も赦免され、やがて中央へ復帰する。

769年には権力の頂点に近かった道鏡と、流罪となった清麻呂。

わずかな期間で、二人の立場は大きく変わった。


10.道鏡は本当に皇位を狙ったのか

宇佐八幡宮神託事件を語るとき、避けて通れない問題がある。

道鏡は、本当に天皇になろうとしていたのか。

『続日本紀』には、道鏡が最初の神託を聞いて喜んだことや、宇佐へ向かう清麻呂に自らに有利な神託を期待する言葉をかけたことが記されている。

そのため、道鏡が自らの即位に期待を抱いていたと考える材料はある。

しかし、それと、

「道鏡がすべてを計画し、偽の神託を作って皇位を奪おうとした」

という話は同じではない。

最初の神託を伝えたのは習宜阿曾麻呂と記録されている。

称徳天皇自身が道鏡の即位をどこまで現実的な選択肢として考えていたのかも、簡単には断定できない。

また、道鏡が軍事力によって皇位を奪おうとした事件でもなかった。

後世に形成された「皇位を狙った悪僧・道鏡」という人物像と、奈良時代の史料から確認できる内容は分けて考える必要がある。


11.事件の本当の争点――次の天皇は誰か

宇佐八幡宮神託事件の背景にあった最大の問題は、

「称徳天皇の次に誰が皇位を継ぐのか」

という皇位継承問題だった。

称徳天皇には子がいない。

皇太子もいない。

その一方で、側近の道鏡は法王という異例の地位にまで上っていた。

その状況で、

「道鏡を皇位につければ天下は太平になる」

という神託が現れたのである。

だからこの事件は、道鏡と清麻呂という二人の人物だけを見ていては全体像をつかめない。

その背後には、称徳天皇の後継者をめぐる奈良朝の政治問題があった。


12.なぜ「神の言葉」が皇位継承に影響したのか

現代の感覚から見ると、

「なぜ神託が次の天皇をめぐる問題に影響するのか」

と感じるかもしれない。

しかし奈良時代の政治と宗教は、現代のように明確に切り離されていたわけではない。

神意や祥瑞は国家政治と深く結びついていた。

さらに宇佐八幡は、東大寺大仏造立への関与などを通して、国家的な権威を高めていた。

だから重要なのは、

「本当に神がそう語ったのか」

を現代から判定することではない。

誰が神託を伝えたのか。

どのような政治状況で伝えられたのか。

そして、その神託を朝廷がどう扱ったのか。

そこを見る必要がある。

宇佐八幡宮神託事件は、奈良時代の政治と宗教がどれほど密接につながっていたのかを示す事件でもある。


13.後世に作られた「悪僧・道鏡」と「忠臣・清麻呂」

この事件は後世になるほど、分かりやすい物語として語られるようになった。

道鏡は、皇位を奪おうとした悪僧。

和気清麻呂は、皇統を守った忠臣。

確かに、この構図は事件を理解しやすい。

しかし実際の政治状況は、それほど単純ではない。

道鏡が強大な権力を持っていたこと。

最初の神託を喜んだと『続日本紀』が伝えていること。

清麻呂が道鏡の即位を否定する方向の神託を奏上したこと。

その結果、清麻呂が厳しく処分されたこと。

こうしたことは史料から確認できる。

一方で、

最初の神託がどのような政治的意図から生まれたのか。

称徳天皇が道鏡の即位をどこまで考えていたのか。

道鏡自身がどの段階まで皇位を現実的に望んでいたのか。

こうした点には慎重さが必要である。

清麻呂は後世、「皇統を守った忠臣」として顕彰されていく。

しかし、後世に形成された清麻呂像と、769年当時の複雑な政治過程そのものは分けて考える必要がある。

歴史上の人物を単純に善人と悪人に分けるだけでは、この事件の核心は見えてこない。


14.事件の翌年、奈良朝の政治は大きく変わった

770年、称徳天皇が崩御した。

皇位についたのは道鏡ではない。

天智天皇の孫にあたる白壁王、光仁天皇だった。

その皇位は、のちに桓武天皇へとつながっていく。

そして桓武天皇の時代には長岡京、さらに平安京への遷都が行われる。

一方、道鏡は中央政界から姿を消した。

宝亀3年(772)、下野国で死去する。

清麻呂は中央へ復帰し、その後は長岡京からの遷都をめぐる過程にも関わっていく。

宇佐八幡宮神託事件そのものが奈良時代を終わらせたわけではない。

しかし事件の翌年には称徳天皇の治世が終わり、皇位継承と政治の構図は大きく変化した。

769年の事件は、奈良時代末期の政治を象徴する出来事の一つだったのである。


まとめ――道鏡が天皇にならなかった事件、その裏にあったもの

神護景雲3年(769)。

宇佐八幡から、

「道鏡を皇位につければ天下は太平になる」

という神託が朝廷へもたらされた。

道鏡は称徳天皇の信任を受け、法王という異例の地位にまで上っていた。

しかも称徳天皇には明確な皇位継承者がいなかった。

だから、この神託は単なる宗教上の話では終わらなかった。

称徳天皇は神意を改めて確認しようとし、和気清麻呂が宇佐へ派遣された。

そして清麻呂が持ち帰ったとされるのが、

「天の日嗣は必ず皇緒を立てよ」

という神託だった。

清麻呂はその奏上によって官位を奪われ、名前まで変えられ、大隅国へ流された。

それでも道鏡が天皇になることはなかった。

翌770年、称徳天皇が崩御。

天智天皇の孫である白壁王が光仁天皇として即位し、道鏡は中央政界から退けられる。

この事件を、

「悪僧・道鏡の皇位簒奪を、忠臣・和気清麻呂が阻止した」

という一文だけで説明することはできない。

その背景には、称徳天皇の後継者が決まっていないという皇位継承問題があった。

朝廷最高層にまで進出した道鏡がいた。

国家的な権威を持つ宇佐八幡がいた。

そして、「神託」という形で政治的な問題が語られる時代があった。

宇佐八幡宮神託事件とは、

道鏡が天皇にならなかった事件であると同時に、

奈良時代の皇位継承、政治、宗教が一点で交差した事件だったのである。

宇佐八幡宮神託事件を史実から深く知るなら『続日本紀』。道鏡、称徳天皇、和気清麻呂をめぐる事件が、同時代に近い史料から読み取れます。奈良時代の政治を本格的に知りたい人にもおすすめです。


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宇佐八幡宮の神託を追ったあとは、現代の宇佐名物を。
神託が飛び交った古代の宇佐から、今度は「宇佐からあげ」を味わってみるのも面白い。



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