人物

【人物編Vol.57】池田恒興――信長の乳兄弟、長久手で家康に挑んだ最期

天文5年(1536年)、池田恒興は尾張に生まれた。幼名は勝三郎。父は池田恒利、母はのちに養徳院と呼ばれる女性である。養徳院は織田信長の乳母を務めた。天文3年(1534年)生まれの信長は恒興より二歳年上で、二人は乳兄弟として伝えられている。恒...
戦い・事件

【戦い・事件編】倶利伽羅峠の戦い――木曾義仲、平氏の大軍を砺波山で破る

寿永2年(1183年)5月11日、加賀と越中の国境に連なる砺波山で、木曾義仲と平氏の北陸道追討軍が激突した。平氏軍を率いていたのは、平重盛の嫡男・維盛をはじめ、通盛、知度、経正、行盛ら一門の武将たちである。彼らは4月に京都を発ち、越前へ進軍...
戦い・事件

【戦い・事件編】火打城の戦い――内通で崩れた、木曾義仲の北陸防衛線

寿永2年(1183年)4月、平氏は北陸道へ追討軍を送った。前年まで飢饉の影響もあり、大規模な軍事行動は思うように進んでいなかった。北陸では平氏に従わない勢力が増え、信濃を拠点とする木曾義仲の勢力も越前・加賀・越中へ伸びている。平氏にとって北...
戦い・事件

【戦い・事件編】横田河原の戦い――木曾義仲、越後の大軍を破る

治承5年(1181年)6月。越後から信濃へ、大軍が南下してきた。率いるのは城四郎資職。越後で勢力を広げてきた城氏の棟梁で、平氏政権に属する有力武士だった。城氏の軍勢は信濃へ入ると、各地の勢力を従わせながら南へ進んだ。正面から戦おうとする者は...
戦い・事件

【戦い・事件編】墨俣川の戦い――源行家の大敗と義円の死

治承5年(1181年)3月10日、美濃と尾張の境を流れる墨俣川を挟み、源平両軍が向かい合った。西から進んできたのは、平重衡を中心とする平氏軍である。平維盛、平通盛、平忠度、平知度ら一門の武将も加わっていた。これを迎え撃ったのが源行家だった。...
戦い・事件

【戦い・事件編】小牧・長久手の戦い(後編)――家康の追撃、森長可・池田恒興を討つ

天正12年(1584年)4月9日。夜明けを迎えた尾張東部では、羽柴秀吉が送り出した岡崎侵攻軍が東へ進んでいた。総勢は約2万4000。池田恒興・元助父子、森長可、堀秀政、長谷川秀一、そして秀吉の甥・三好信吉らが参加する大軍である。目指している...
戦い・事件

【戦い・事件編】小牧・長久手の戦い(前編)――秀吉と家康、天下をめぐり小牧山で対峙する

天正12年(1584年)3月28日。尾張国小牧山に徳川家康が入った。標高約86メートル。濃尾平野の中に独立してそびえるこの山は、21年前、織田信長が清須から本拠を移して城を築いた場所である。その北、およそ5キロの楽田には羽柴秀吉が本陣を置い...
戦い・事件

【戦い・事件編】南都焼討――平重衡、東大寺と興福寺を焼く

治承4年(1180年)12月28日。奈良の北側、奈良坂と般若寺の周辺では朝から戦いが続いていた。京都から南下してきた平氏の軍勢を率いるのは、平清盛の五男・平重衡。数え24歳である。迎え撃つ南都側は、興福寺を中心とする大衆だった。奈良へ通じる...
戦い・事件

【戦い・事件編】金砂城の戦い――平氏を追わず「坂東平定」へ、源頼朝が佐竹氏を攻める

治承4年(1180)10月20日、駿河国の富士川から平維盛の追討軍が退いていった。源頼朝はそのまま西へ進み、京都を目指そうとした。ところが、千葉常胤・上総広常・三浦義澄ら東国の武士たちは、これに反対した。鎌倉へ入ったばかりの頼朝には、まだ従...
戦い・事件

【戦い・事件編】富士川の戦い――石橋山で大敗した頼朝、平家追討軍と本格的な初戦

治承4年(1180年)10月20日の夜、駿河国を流れる富士川の西岸に平氏の追討軍がいた。大将は平維盛。前年に亡くなった平重盛の嫡男で、数え23歳になる。平忠度、平知度ら一門の武将が従い、軍勢の実務を伊藤忠清が担っていた。東には源頼朝が迫って...
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