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【人物編Vol.60】木曾義仲(源義仲)――倶利伽羅峠で平家を破り、31歳で粟津に散った源氏の武将

寿永3年(1184)1月20日。近江国粟津。京都から退いた一人の武将が、頼朝方の追撃を受けて討たれた。木曾義仲。数え31歳だった。そのわずか半年前。義仲は北陸から京都へ迫り、平家一門を都落ちへ追い込むほどの勢力を築いていた。倶利伽羅峠で平家...
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【人物編 Vol.59】織田信雄――なぜ『無能な信長の次男』と呼ばれたのか? 小牧・長久手から晩年まで

1584年4月9日。尾張東部の長久手で、羽柴秀吉方の軍勢が徳川家康の軍に敗れた。池田恒興、池田元助、森長可らが討死。秀吉方は約2500人を失ったとされる。小牧・長久手の戦いで最も有名な戦闘である。現在では「秀吉対家康」の戦いとして知られてい...
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【人物編Vol.58】森長可――27歳で長久手に散った猛将「鬼武蔵」

永禄元年(1558年)、森長可は織田信長の家臣・森可成の次男として生まれた。通称は勝蔵。のちに武蔵守を称し、後世には「鬼武蔵」の異名で知られるようになる。父・可成は、信長が尾張から美濃へ勢力を広げていく時期から仕えた古参家臣だった。森家は美...
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【人物編Vol.57】池田恒興――信長の乳兄弟、長久手で家康に挑んだ最期

天文5年(1536年)、池田恒興は尾張に生まれた。幼名は勝三郎。父は池田恒利、母はのちに養徳院と呼ばれる女性である。養徳院は織田信長の乳母を務めた。天文3年(1534年)生まれの信長は恒興より二歳年上で、二人は乳兄弟として伝えられている。恒...
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【人物編Vol.56】平清盛――武士で初めて太政大臣となった男が築いた「平氏の時代」

治承4年(1180年)11月11日、数え3歳の安徳天皇が福原の新しい内裏へ入った。京都を出てから、すでに5か月が過ぎている。天皇が最初に身を寄せたのは平頼盛の邸で、新しい御所はまだ影も形もなかった。ようやく内裏が整ったころ、東国では源頼朝が...
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【人物編Vol.55】以仁王――親王になれなかった皇子が、平氏追討の火をつけるまで

治承4年(1180年)5月26日、以仁王は奈良へ向かって南山城を走っていた。前夜に園城寺を出て、宇治では追ってきた平氏軍と戦っている。源頼政は平等院に残り、一族とともに最期を迎えた。以仁王はさらに南へ進み、援軍が期待できる興福寺を目指した。...
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【人物編Vol.54】源頼政――平清盛の時代を生き抜いた77歳の老将は、なぜ最後に平氏を裏切ったのか?

治承4年(1180年)5月、京都では園城寺を攻める軍勢の編成が進んでいた。後白河法皇の皇子・以仁王が寺へ逃げ込み、平氏追討を掲げたのである。追討軍には平宗盛、知盛、重衡、維盛ら平氏一門が並び、その中に源頼政の名もあった。頼政は数え77歳。平...
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【人物編Vol.54】中川清秀――荒木村重を見限り、秀吉に賭け、賤ヶ岳に散った茨木城主

天正11年(1583年)4月20日、近江の大岩山に柴田勝家方の軍勢が迫った。砦を守るのは中川清秀。摂津茨木城主、数え42歳である。攻めてきた佐久間盛政は、秀吉が美濃方面へ兵を動かした隙を突き、賤ヶ岳周辺の陣地へ攻撃を仕掛けた。前面に位置する...
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【人物編Vol.53】平重盛――「忠か、孝か」父・清盛に逆らった平氏の嫡男

平清盛の死後、平氏一門を率いたのは三男の宗盛だった。そのため宗盛が初めから清盛の後継者だったように見えるが、本来その位置にいたのは長男の平重盛である。保延4年(1138年)に生まれた重盛は、19歳で保元の乱に出陣し、平治の乱でも父とともに戦...
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【人物編Vol.52】源義平――15歳で叔父を討ち、20歳で平清盛を狙った「悪源太」

永暦元年(1160)正月。京都・六条河原に、一人の若い武者が引き出された。源義平。源義朝の長男で、源頼朝の異母兄にあたる。前年12月の平治の乱では、父・義朝とともに平清盛方と戦った。敗れたあと一度は東国へ向かったものの、父が尾張で殺されたこ...
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