古代

人物

【人物編 Vol.21】道鏡――孝謙上皇の看病から法王へ、宇佐八幡宮神託事件と失脚

宝亀元年(770)8月21日。一人の僧が、平城京を離れることになった。道鏡。わずか4年前には「法王」となり、天皇に準じる特別な待遇を受けていた人物である。しかし8月4日に称徳天皇が亡くなると、その政治的地位は急速に失われた。道鏡は造下野国薬...
人物

【人物編 Vol.22】和気清麻呂――道鏡と宇佐八幡宮神託事件、平安京遷都まで

神護景雲3年(769)。宇佐八幡宮から都へ戻った一人の官人が、皇位継承に関わる神託を朝廷へ奏上した。和気清麻呂。大宰府から先に伝えられていたのは、法王・道鏡を皇位につければ天下が太平になるという内容だった。しかし清麻呂が宇佐から持ち帰った神...
戦い・事件

【戦い・事件編】宇佐八幡宮神託事件――道鏡はなぜ天皇になれなかったのか? 769年、和気清麻呂が持ち帰った神託

神護景雲3年(769)。九州の宇佐八幡から、奈良の朝廷を揺るがす神託がもたらされた。「道鏡を皇位につければ、天下は太平になる」道鏡は皇族ではない。称徳天皇の信任を受け、朝廷で絶大な権力を握っていたとはいえ、その出自は皇統とは無縁だった。その...
戦い・事件

【戦い・事件編】なぜ最高権力者・藤原仲麻呂は8日で敗れたのか?――恵美押勝の乱と764年の政変

天平宝字8年(764)9月18日。琵琶湖西岸の近江国高島郡。かつて朝廷の最高位にまで昇った藤原仲麻呂は、追討軍に追い詰められていた。近江へ進もうとすれば橋を焼かれ、越前へ向かえば関を押さえられる。三尾埼で追討軍に敗れた仲麻呂は、勝野鬼江から...
戦い・事件

【戦い・事件編】藤原広嗣の乱――なぜ藤原広嗣は1万余の兵を率いて朝廷に反乱したのか? 740年、板櫃川の戦い

天平12年(740)10月9日。豊前国を流れる板櫃川を挟み、二つの軍勢が向かい合っていた。西岸には藤原広嗣。その兵力は1万余。東岸には朝廷の追討軍6,000余が布陣していた。広嗣は大宰少弐として九州に赴任していた藤原氏の貴族である。約40日...
人物

【人物編 Vol.19】藤原仲麻呂(恵美押勝)――光明皇太后の信任から淳仁天皇、764年の最期まで

天平宝字8年(764)9月18日。近江国高島郡の勝野鬼江。藤原仲麻呂は、琵琶湖へ逃れようとしたところを石村村主石楯に捕らえられ、斬首された。その数年前まで、仲麻呂は太師に昇り、正一位という人臣最高の位階に達していた。淳仁天皇と深く結びつき、...
戦い・事件

【戦い・事件編】橘奈良麻呂の変――藤原仲麻呂打倒計画はなぜ実行前に潰れたのか、757年の密告と一斉逮捕

757年(天平勝宝9歳)7月2日。藤原仲麻呂のもとへ、一人の官人から密告が入った。告発したのは上道斐太都。橘奈良麻呂らが藤原仲麻呂を排除し、皇太子・大炊王を退け、新たな天皇を立てようとしているという内容だった。翌3日。奈良麻呂をはじめ、黄文...
人物

【人物編 Vol.20】吉備真備――18年の唐留学から藤原仲麻呂の乱、右大臣まで

天平宝字8年(764)。藤原仲麻呂と孝謙上皇側の対立が、武力衝突へ発展した。その追討側に加わった一人が、吉備真備だった。このとき真備は70歳前後。約半世紀前には遣唐留学生として海を渡り、18年近く唐で学んだ人物である。帰国後は皇太子・阿倍内...
人物

【人物編 Vol.12】大伴旅人――隼人征討から「令和」の典拠・梅花の宴へ

天平2年(730)正月13日。大宰帥・大伴旅人の邸宅に、大宰府や九州諸国の官人たちが集まった。庭には白い梅が咲いていた。参加者たちは梅を眺めながら酒を酌み交わし、それぞれ歌を詠んだ。後に「梅花の宴」と呼ばれる宴である。この日に詠まれた32首...
人物

【人物編 Vol.11】中大兄皇子(天智天皇)――蘇我入鹿を討った皇子は、なぜ23年後に即位したのか

645年6月12日。飛鳥板蓋宮で、中大兄皇子は長槍を手にして蘇我入鹿を待っていた。皇極天皇が見守る宮中で入鹿が殺され、翌日には父・蘇我蝦夷も死んだ。中大兄皇子は、この乙巳の変の中心人物だった。ところが、政変後に皇位についたのは中大兄皇子では...
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