戦い・事件

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【戦い・事件編】元慶の乱―蝦夷征討から約70年、なぜ秋田城は再び炎上したのか

――坂上田村麻呂の時代に終わったはずの戦いが、なぜ再び始まったのか坂上田村麻呂が蝦夷征討を進め、胆沢城が築かれ、阿弖流為が降伏した。そして弘仁2年(811)には、文室綿麻呂が爾薩体・幣伊方面を征討した。朝廷による東北支配は大きく前進した。と...
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【戦い・事件編】承和の変から応天門の変へ――平安朝廷を変えた二つの政変

――嵯峨天皇の死後、藤原良房はどうやって権力を握ったのか前回は、嵯峨天皇を取り上げた。810年、嵯峨天皇は兄・平城上皇との対立を制し、薬子の変を終結させた。その後、嵯峨天皇は蔵人所を設置し、検非違使を整え、藤原冬嗣らを重用した。そして、嵯峨...
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【戦い・事件編】薬子の変――平城上皇と嵯峨天皇、兄弟が争った810年の政変

大同5年(810年)9月6日、平城上皇は平安京から平城京へ都を戻すよう命じた。桓武天皇が平安京へ遷都してから16年。皇位にはすでに弟の嵯峨天皇がつき、平安京で政務を行っていた。嵯峨天皇は当初、上皇の命令を受け入れ、坂上田村麻呂や藤原仲成らを...
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【戦い・事件編】藤原種継暗殺事件――長岡京を揺るがした785年の政変と早良親王

延暦4年(785)9月23日夜。新都・長岡京の造営を担っていた藤原種継が、何者かに矢で射られた。種継は桓武天皇の信任を受け、遷都後も続く宮都建設を指揮していた朝廷の中心人物だった。翌24日、種継は死亡する。山川日本史小辞典なども没日を9月2...
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【戦い・事件編】蝦夷征伐②――阿弖流為と坂上田村麻呂、774年から811年の三十八年戦争

774年、海道蝦夷が桃生城を襲撃した。伊治公呰麻呂の乱、阿弖流為が朝廷軍を破った巣伏の戦い、坂上田村麻呂の遠征、胆沢城造営、811年の文室綿麻呂による征討まで、38年間に及んだ朝廷と蝦夷の戦いを追う。宝亀5年(774年)7月25日。陸奥国か...
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【戦い・事件編】阿倍比羅夫の蝦夷遠征――658年、180艘の船団はなぜ北へ向かったのか

meta_description:658年、阿倍比羅夫は180艘の船団を率いて北へ向かった。齶田・渟代・津軽の蝦夷との交渉、渡嶋蝦夷との接触、660年の粛慎との戦いまで、『日本書紀』から7世紀の北方遠征を追う。斉明天皇4年(658年)4月、...
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