戦い・事件

戦い・事件

【戦い・事件編】小牧・長久手の戦い(後編)――家康の追撃、森長可・池田恒興を討つ

天正12年(1584年)4月9日。夜明けを迎えた尾張東部では、羽柴秀吉が送り出した岡崎侵攻軍が東へ進んでいた。総勢は約2万4000。池田恒興・元助父子、森長可、堀秀政、長谷川秀一、そして秀吉の甥・三好信吉らが参加する大軍である。目指している...
戦い・事件

【戦い・事件編】小牧・長久手の戦い(前編)――秀吉と家康、天下をめぐり小牧山で対峙する

天正12年(1584年)3月28日。尾張国小牧山に徳川家康が入った。標高約86メートル。濃尾平野の中に独立してそびえるこの山は、21年前、織田信長が清須から本拠を移して城を築いた場所である。その北、およそ5キロの楽田には羽柴秀吉が本陣を置い...
戦い・事件

【戦い・事件編】北庄城の戦い――「もう勝てない」柴田勝家は、なぜ北庄城に残ったのか?

1583年4月24日――柴田勝家、北庄城で最期を迎える天正11年(1583)4月24日。越前・北庄城。現在の福井市中心部で、柴田勝家の最後の戦いが始まっていた。城の外を埋めているのは羽柴秀吉の軍勢。城の内側に残ったのは、賤ヶ岳から敗走してき...
戦い・事件

【戦い・事件編】賤ヶ岳の戦い・後編――大勝利から一転、敗北へ。柴田勝家の命運を分けたものとは

天正11年(1583)4月。近江北部で羽柴秀吉と柴田勝家が対峙していた。余呉湖周辺には両軍の陣城が並び、戦場は山々と街道を利用した広大な陣地戦となっていた。この均衡を破ったのが、柴田勝家の重臣・佐久間盛政だった。1.秀吉が美濃へ向かった隙4...
戦い・事件

【戦い・事件編】賤ヶ岳の戦い(前編)――勝敗を分けたのは「冬」だった。秀吉が先に動いた理由

――清須会議から、佐久間盛政が大岩山を狙うまで天正10年(1582)6月2日。京都・本能寺。織田信長が明智光秀の軍勢に襲われた。信長は自害。嫡男・織田信忠も二条御所で命を絶った。天下統一を目前にしていた織田家は、わずか一日の間に当主と後継者...
タイトルとURLをコピーしました