戦国

人物

【人物編 Vol.59】織田信雄――なぜ『無能な信長の次男』と呼ばれたのか? 小牧・長久手から晩年まで

1584年4月9日。尾張東部の長久手で、羽柴秀吉方の軍勢が徳川家康の軍に敗れた。池田恒興、池田元助、森長可らが討死。秀吉方は約2500人を失ったとされる。小牧・長久手の戦いで最も有名な戦闘である。現在では「秀吉対家康」の戦いとして知られてい...
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【人物編Vol.58】森長可――27歳で長久手に散った猛将「鬼武蔵」

永禄元年(1558年)、森長可は織田信長の家臣・森可成の次男として生まれた。通称は勝蔵。のちに武蔵守を称し、後世には「鬼武蔵」の異名で知られるようになる。父・可成は、信長が尾張から美濃へ勢力を広げていく時期から仕えた古参家臣だった。森家は美...
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【人物編Vol.57】池田恒興――信長の乳兄弟、長久手で家康に挑んだ最期

天文5年(1536年)、池田恒興は尾張に生まれた。幼名は勝三郎。父は池田恒利、母はのちに養徳院と呼ばれる女性である。養徳院は織田信長の乳母を務めた。天文3年(1534年)生まれの信長は恒興より二歳年上で、二人は乳兄弟として伝えられている。恒...
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【戦い・事件編】小牧・長久手の戦い(後編)――家康の追撃、森長可・池田恒興を討つ

天正12年(1584年)4月9日。夜明けを迎えた尾張東部では、羽柴秀吉が送り出した岡崎侵攻軍が東へ進んでいた。総勢は約2万4000。池田恒興・元助父子、森長可、堀秀政、長谷川秀一、そして秀吉の甥・三好信吉らが参加する大軍である。目指している...
戦い・事件

【戦い・事件編】小牧・長久手の戦い(前編)――秀吉と家康、天下をめぐり小牧山で対峙する

天正12年(1584年)3月28日。尾張国小牧山に徳川家康が入った。標高約86メートル。濃尾平野の中に独立してそびえるこの山は、21年前、織田信長が清須から本拠を移して城を築いた場所である。その北、およそ5キロの楽田には羽柴秀吉が本陣を置い...
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【人物編Vol.54】中川清秀――荒木村重を見限り、秀吉に賭け、賤ヶ岳に散った茨木城主

天正11年(1583年)4月20日、近江の大岩山に柴田勝家方の軍勢が迫った。砦を守るのは中川清秀。摂津茨木城主、数え42歳である。攻めてきた佐久間盛政は、秀吉が美濃方面へ兵を動かした隙を突き、賤ヶ岳周辺の陣地へ攻撃を仕掛けた。前面に位置する...
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【人物編Vol.47】柴田勝家――一度は信長に刃を向けた男、北陸の覇将へ上り詰めるまで

1583年4月24日――北庄城、炎上天正11年(1583)4月24日、越前・北庄城が炎に包まれた。城主は柴田勝家。織田信長の弟・信行に仕え、かつては信長と戦った男である。その後は信長の重臣となり、越前を預けられ、北陸方面の軍事を任されるまで...
戦い・事件

【戦い・事件編】北庄城の戦い――「もう勝てない」柴田勝家は、なぜ北庄城に残ったのか?

1583年4月24日――柴田勝家、北庄城で最期を迎える天正11年(1583)4月24日。越前・北庄城。現在の福井市中心部で、柴田勝家の最後の戦いが始まっていた。城の外を埋めているのは羽柴秀吉の軍勢。城の内側に残ったのは、賤ヶ岳から敗走してき...
戦い・事件

【戦い・事件編】賤ヶ岳の戦い・後編――大勝利から一転、敗北へ。柴田勝家の命運を分けたものとは

天正11年(1583)4月。近江北部で羽柴秀吉と柴田勝家が対峙していた。余呉湖周辺には両軍の陣城が並び、戦場は山々と街道を利用した広大な陣地戦となっていた。この均衡を破ったのが、柴田勝家の重臣・佐久間盛政だった。1.秀吉が美濃へ向かった隙4...
戦い・事件

【戦い・事件編】賤ヶ岳の戦い(前編)――勝敗を分けたのは「冬」だった。秀吉が先に動いた理由

――清須会議から、佐久間盛政が大岩山を狙うまで天正10年(1582)6月2日。京都・本能寺。織田信長が明智光秀の軍勢に襲われた。信長は自害。嫡男・織田信忠も二条御所で命を絶った。天下統一を目前にしていた織田家は、わずか一日の間に当主と後継者...
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