2026-08

人物

【人物編Vol.42】清原武則――1万余の兵を率い、前九年の役を終わらせた出羽の実力者

1062年――源頼義の前に、1万余の軍勢が現れた康平5年(1062)。前九年の役が始まってから12年目。源頼義は、まだ安倍氏を倒せずにいた。5年前の黄海では安倍貞任に大敗し、自分を含めてわずか7騎ほどまで追い詰められた。その後も決定的な勝...
戦い・事件

【戦い・事件編】延久蝦夷合戦――源頼俊と清原氏はなぜ北奥州へ進軍したのか?

1070年――前九年の役から8年、さらに北で軍が動く延久2年(1070)。前九年の役が終わってから8年。陸奥国で、再び大規模な軍事行動が始まった。今度の戦場は、安倍氏が支配した奥六郡よりさらに北である。史料に現れる名は、「衣曾別嶋の荒夷」...
人物

【人物編Vol.41】源頼義――7騎まで追い詰められても戦いをやめなかった河内源氏の武将

1057年――源頼義、残ったのは7騎天喜5年(1057)11月。雪の奥州で、源頼義は死の瀬戸際にいた。安倍貞任を討つために北上した頼義軍は、黄海で崩壊した。『陸奥話記』によれば、頼義の馬は矢を受けて倒れ、息子・義家の馬まで失われた。最後に...
人物

【人物編Vol.40】安倍頼時――息子を差し出すことを拒んだ奥六郡の支配者

1056年――頼時は、息子を渡さなかった天喜4年(1056)。源頼義は安倍頼時に、一つの要求を突きつけた。「貞任を差し出せ」頼時の嫡男・安倍貞任に、頼義方の陣営を襲った疑いがかけられたのである。頼時は拒んだ。『陸奥話記』は、そのときの頼...
戦い・事件

【戦い・事件編】前九年の役・後編――源頼義はなぜ壊滅寸前から安倍氏を滅ぼせたのか? 黄海から厨川柵へ

1057年11月――頼時を失った安倍氏へ、頼義が迫る前編はこちら。天喜5年(1057)7月、奥六郡を率いた安倍頼時が死んだ。頼義の調略によって安倍富忠らが離反し、説得に向かった頼時自身が攻撃を受けて致命傷を負った。安倍氏を束ねてきた盟主...
戦い・事件

【戦い・事件編】前九年の役・前編――なぜ安倍頼時は源頼義と戦ったのか? 奥六郡の支配者、その最期

1057年――奥六郡の支配者、鳥海柵で死す天喜5年(1057)7月。傷ついた一人の男が、鳥海柵へ運び込まれた。安倍頼時。現在の岩手県内陸部に広がる奥六郡を率い、6年前には朝廷側の軍勢を鬼切部で破った男である。頼時を追い詰めたのは、源頼...
人物

【人物編 Vol.39】源頼光――酒呑童子、四天王、金太郎――すべてが集まった「鬼退治の総大将」

平安時代の武将、源頼光(みなもとのよりみつ)。後世では「らいこう」の名でも知られる。大江山で酒呑童子を討ち、渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武という「頼光四天王」を従える。さらには土蜘蛛まで退治する。後世の頼光は、まさに鬼退治の英雄であ...
人物

【人物編 Vol.38】源頼信――3年続いた反乱を戦わず終わらせた、河内源氏最初の大物

長元4年(1031)。房総で約3年にわたって朝廷の追討軍に抗していた平忠常が、一人の武将のもとへ自らやって来た。その男が、源頼信(みなもとのよりのぶ)である。忠常はすでに出家していた。子息2人と郎党3人を連れ、甲斐守として東国にいた頼...
人物

【人物編 Vol.37】平直方――平忠常を倒せなかった追討使と、河内源氏へ渡った「鎌倉」

長元元年(1028)。房総で平忠常の乱が起こると、朝廷は追討使の人選に入った。候補には源頼信、平正輔、平直方、中原成通らが並ぶ。右大臣・藤原実資は源頼信を推した。それに対して関白・藤原頼通が推したのが、平直方(たいらのなおかた)である...
人物

【人物編 Vol.36】平忠常――房総を動かし、朝廷軍に3年抗った坂東の大武者

長元元年(1028)、房総で一人の武士が朝廷の追討対象となった。平忠常(たいらのただつね)である。忠常は上総・下総に広大な勢力を築き、国司の命令さえ簡単には通らないほどの力を持っていた。安房国守が焼死し、上総国府が制圧されると、朝廷は...
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