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戦国・安土桃山時代
戦国・安土桃山時代
戦国・安土桃山時代は、応仁の乱をきっかけに室町幕府の権威が失われ、各地の戦国大名が覇権を争った時代です。織田信長の死後、後継の座をめぐって羽柴(豊臣)秀吉と柴田勝家が激突した賤ヶ岳の戦い(1583年)は、秀吉が天下人への道を確実にした戦いとして知られています。
- 戦い・事件編【戦い・事件編】賤ヶ岳の戦い(前編)――勝敗を分けたのは「冬」だった。秀吉が先に動いた理由
――清須会議から、佐久間盛政が大岩山を狙うまで 天正10年(1582)6月2日。 京都・本能寺。 織田信長が明智光秀の軍勢に襲われた。 信長は自害。 嫡男・織田信忠も二条御所で命を絶った。
記事を読む » - 戦い・事件編【戦い・事件編】賤ヶ岳の戦い・後編――大勝利から一転、敗北へ。柴田勝家の命運を分けたものとは
天正11年(1583)4月。 近江北部で羽柴秀吉と柴田勝家が対峙していた。 余呉湖周辺には両軍の陣城が並び、戦場は山々と街道を利用した広大な陣地戦となっていた。
記事を読む » - 戦い・事件編【戦い・事件編】北庄城の戦い――「もう勝てない」柴田勝家は、なぜ北庄城に残ったのか?
1583年4月24日――柴田勝家、北庄城で最期を迎える 天正11年(1583)4月24日。 越前・北庄城。 現在の福井市中心部で、柴田勝家の最後の戦いが始まっていた。
記事を読む » - 人物編【人物編Vol.47】柴田勝家――一度は信長に刃を向けた男、北陸の覇将へ上り詰めるまで
1583年4月24日――北庄城、炎上 天正11年(1583)4月24日、越前・北庄城が炎に包まれた。 城主は柴田勝家。 織田信長の弟・信行に仕え、かつては信長と戦った男である。
記事を読む » - 人物編【人物編Vol.54】中川清秀――荒木村重を見限り、秀吉に賭け、賤ヶ岳に散った茨木城主
天正11年(1583年)4月20日、近江の大岩山に柴田勝家方の軍勢が迫った。 砦を守るのは中川清秀。摂津茨木城主、数え42歳である。
記事を読む » - 戦い・事件編【戦い・事件編】小牧・長久手の戦い(前編)――秀吉と家康、天下をめぐり小牧山で対峙する
天正12年(1584年)3月28日。 尾張国小牧山に徳川家康が入った。 標高約86メートル。濃尾平野の中に独立してそびえるこの山は、21年前、織田信長が清須から本拠を移して城を築いた場所である。
記事を読む » - 戦い・事件編【戦い・事件編】小牧・長久手の戦い(後編)――家康の追撃、森長可・池田恒興を討つ
天正12年(1584年)4月9日。 夜明けを迎えた尾張東部では、羽柴秀吉が送り出した岡崎侵攻軍が東へ進んでいた。 総勢は約2万4000。
記事を読む » - 人物編【人物編Vol.57】池田恒興――信長の乳兄弟、長久手で家康に挑んだ最期
天文5年(1536年)、池田恒興は尾張に生まれた。 幼名は勝三郎。父は池田恒利、母はのちに養徳院と呼ばれる女性である。 養徳院は織田信長の乳母を務めた。
記事を読む » - 人物編【人物編Vol.58】森長可――27歳で長久手に散った猛将「鬼武蔵」
永禄元年(1558年)、森長可は織田信長の家臣・森可成の次男として生まれた。 通称は勝蔵。 のちに武蔵守を称し、後世には「鬼武蔵」の異名で知られるようになる。
記事を読む » - 人物編【人物編 Vol.59】織田信雄――なぜ『無能な信長の次男』と呼ばれたのか? 小牧・長久手から晩年まで
1584年4月9日。 尾張東部の長久手で、羽柴秀吉方の軍勢が徳川家康の軍に敗れた。 池田恒興、池田元助、森長可らが討死。秀吉方は約2500人を失ったとされる。
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