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【人物編Vol.60】木曾義仲(源義仲)――倶利伽羅峠で平家を破り、31歳で粟津に散った源氏の武将

寿永3年(1184)1月20日。近江国粟津。京都から退いた一人の武将が、頼朝方の追撃を受けて討たれた。木曾義仲。数え31歳だった。そのわずか半年前。義仲は北陸から京都へ迫り、平家一門を都落ちへ追い込むほどの勢力を築いていた。倶利伽羅峠で平家...
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【人物編Vol.56】平清盛――武士で初めて太政大臣となった男が築いた「平氏の時代」

治承4年(1180年)11月11日、数え3歳の安徳天皇が福原の新しい内裏へ入った。京都を出てから、すでに5か月が過ぎている。天皇が最初に身を寄せたのは平頼盛の邸で、新しい御所はまだ影も形もなかった。ようやく内裏が整ったころ、東国では源頼朝が...
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【人物編Vol.55】以仁王――親王になれなかった皇子が、平氏追討の火をつけるまで

治承4年(1180年)5月26日、以仁王は奈良へ向かって南山城を走っていた。前夜に園城寺を出て、宇治では追ってきた平氏軍と戦っている。源頼政は平等院に残り、一族とともに最期を迎えた。以仁王はさらに南へ進み、援軍が期待できる興福寺を目指した。...
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【人物編Vol.54】源頼政――平清盛の時代を生き抜いた77歳の老将は、なぜ最後に平氏を裏切ったのか?

治承4年(1180年)5月、京都では園城寺を攻める軍勢の編成が進んでいた。後白河法皇の皇子・以仁王が寺へ逃げ込み、平氏追討を掲げたのである。追討軍には平宗盛、知盛、重衡、維盛ら平氏一門が並び、その中に源頼政の名もあった。頼政は数え77歳。平...
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【人物編Vol.53】平重盛――「忠か、孝か」父・清盛に逆らった平氏の嫡男

平清盛の死後、平氏一門を率いたのは三男の宗盛だった。そのため宗盛が初めから清盛の後継者だったように見えるが、本来その位置にいたのは長男の平重盛である。保延4年(1138年)に生まれた重盛は、19歳で保元の乱に出陣し、平治の乱でも父とともに戦...
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【人物編Vol.52】源義平――15歳で叔父を討ち、20歳で平清盛を狙った「悪源太」

永暦元年(1160)正月。京都・六条河原に、一人の若い武者が引き出された。源義平。源義朝の長男で、源頼朝の異母兄にあたる。前年12月の平治の乱では、父・義朝とともに平清盛方と戦った。敗れたあと一度は東国へ向かったものの、父が尾張で殺されたこ...
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【人物編Vol.51】源義朝――平治の乱で平清盛に敗れた、頼朝の父

平治2年(1160)正月3日。尾張国知多郡野間で、一人の武将が殺された。源義朝。数え38歳だった。ほんの数日前まで、義朝は京都で軍勢を率いていた。藤原信頼とともに後白河上皇の御所・三条殿を襲い、信西を死に追い込み、一時は朝廷の主導権まで握...
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【人物編Vol.50】平忠盛――源為義と同い年、なぜ平氏だけが出世できたのか?

仁平3年(1153)1月15日。平忠盛が58歳で死んだ。死の直前まで、官位は正四位上。官職は刑部卿。公卿の一歩手前まで来ていた。左大臣・藤原頼長は『台記』に、忠盛が数か国の国司を務めて巨万の富を蓄え、郎党を各地に抱え、武威も人に勝ってい...
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【人物編Vol.49】源為義――息子・義朝に処刑された「八幡太郎」の孫

保元元年(1156)7月30日。京都北郊の船岡山で、源氏の武者たちが処刑された。中心にいたのは源為義。祖父は「八幡太郎」の名で知られた源義家。父は朝廷から追討された源義親。長男は源義朝で、その子には源頼朝、範頼、義経がいる。別の息子・...
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【人物編Vol.48】源義光――武田氏・佐竹氏へつながった「新羅三郎」の光と影

1087年――兄のため、官職を捨てて奥州へ寛治元年(1087)、源義光は京都にいた。このとき、陸奥では兄・源義家が清原家衡・武衡らと戦っている。後世「後三年合戦」と呼ばれる戦争である。前年、義家は沼柵を攻めて敗れていた。冬の出羽で雪と兵糧...
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