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【人物編Vol.46】平正盛――源義家の息子を討ち、平氏台頭の道を開いた男

1108年――源義家の息子を討った男天仁元年(1108)正月。出雲国で、一つの戦いが終わった。討たれたのは源義親。「八幡太郎」源義家の次男であり、兄・義宗の早世後には河内源氏の嫡男となった人物である。その義親を討ったのが、平正盛。後に...
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【人物編Vol.45】源義親――父は源義家、息子は為義――源氏の名門に生まれた「問題児」

1108年1月――父の名声とは正反対の最期天仁元年(1108)1月。出雲で一人の武将が討たれた。源義親。父は「八幡太郎」源義家。前九年合戦、後三年合戦を経験し、東国武士から強い信望を集めた河内源氏の中心人物である。義親はその次男とし...
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【人物編Vol.44】源義家――なぜ東国武士は、朝廷より「八幡太郎」を選んだのか

1039年――河内源氏の長男として生まれる長暦3年(1039)、源義家は生まれた。父は源頼義、祖父は源頼信。母は平直方の娘である。頼信は平忠常の乱を収束へ導き、坂東に河内源氏の名を広めた武将だった。頼義も相模守などを務めながら東国との...
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【人物編Vol.43】藤原清衡――父を殺され、妻子を失った男が「黄金の平泉」を築くまで

1056年――戦乱の中に生まれた少年天喜4年(1056)。のちに奥州藤原氏の初代となる藤原清衡が生まれた。父は藤原経清。母は安倍頼時の娘である。父方には藤原氏、母方には奥六郡を支配した安倍氏の血を引く。しかし清衡が生まれた1056年は、安...
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【人物編Vol.42】清原武則――1万余の兵を率い、前九年の役を終わらせた出羽の実力者

1062年――源頼義の前に、1万余の軍勢が現れた康平5年(1062)。前九年の役が始まってから12年目。源頼義は、まだ安倍氏を倒せずにいた。5年前の黄海では安倍貞任に大敗し、自分を含めてわずか7騎ほどまで追い詰められた。その後も決定的な勝...
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【人物編Vol.41】源頼義――7騎まで追い詰められても戦いをやめなかった河内源氏の武将

1057年――源頼義、残ったのは7騎天喜5年(1057)11月。雪の奥州で、源頼義は死の瀬戸際にいた。安倍貞任を討つために北上した頼義軍は、黄海で崩壊した。『陸奥話記』によれば、頼義の馬は矢を受けて倒れ、息子・義家の馬まで失われた。最後に...
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【人物編Vol.40】安倍頼時――息子を差し出すことを拒んだ奥六郡の支配者

1056年――頼時は、息子を渡さなかった天喜4年(1056)。源頼義は安倍頼時に、一つの要求を突きつけた。「貞任を差し出せ」頼時の嫡男・安倍貞任に、頼義方の陣営を襲った疑いがかけられたのである。頼時は拒んだ。『陸奥話記』は、そのときの頼...
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【人物編 Vol.39】源頼光――酒呑童子、四天王、金太郎――すべてが集まった「鬼退治の総大将」

平安時代の武将、源頼光(みなもとのよりみつ)。後世では「らいこう」の名でも知られる。大江山で酒呑童子を討ち、渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武という「頼光四天王」を従える。さらには土蜘蛛まで退治する。後世の頼光は、まさに鬼退治の英雄であ...
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【人物編 Vol.38】源頼信――3年続いた反乱を戦わず終わらせた、河内源氏最初の大物

長元4年(1031)。房総で約3年にわたって朝廷の追討軍に抗していた平忠常が、一人の武将のもとへ自らやって来た。その男が、源頼信(みなもとのよりのぶ)である。忠常はすでに出家していた。子息2人と郎党3人を連れ、甲斐守として東国にいた頼...
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【人物編 Vol.37】平直方――平忠常を倒せなかった追討使と、河内源氏へ渡った「鎌倉」

長元元年(1028)。房総で平忠常の乱が起こると、朝廷は追討使の人選に入った。候補には源頼信、平正輔、平直方、中原成通らが並ぶ。右大臣・藤原実資は源頼信を推した。それに対して関白・藤原頼通が推したのが、平直方(たいらのなおかた)である...
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