時代別

戦い・事件

【戦い・事件編】藤原種継暗殺事件――長岡京を揺るがした785年の政変と早良親王

延暦4年(785)9月23日夜。新都・長岡京の造営を担っていた藤原種継が、何者かに矢で射られた。種継は桓武天皇の信任を受け、遷都後も続く宮都建設を指揮していた朝廷の中心人物だった。翌24日、種継は死亡する。山川日本史小辞典なども没日を9月2...
人物

【人物編 vol.14】阿弖流為とは何者か――巣伏の戦いで朝廷軍を破った蝦夷の首長

第27回奈良時代の終わりから平安時代の初めにかけて、朝廷は東北地方へと支配を広げていた。その前に立ちはだかった人物の一人が、阿弖流為である。現在の岩手県奥州市周辺にあたる胆沢地方を拠点とし、朝廷軍に抵抗した蝦夷の有力な首長だった。延暦8年(...
人物

【人物編 Vol.13】坂上田村麻呂――阿弖流為の降伏と胆沢城、征夷大将軍から薬子の変まで

【人物編 Vol.13】坂上田村麻呂――阿弖流為の降伏と胆沢城、征夷大将軍から薬子の変まで延暦21年(802)4月。陸奥国胆沢を拠点として朝廷軍に抵抗してきた阿弖流為と盤具公母礼が、500余人を率いて降伏した。降伏を受け入れたのは、征夷大将...
戦い・事件

【戦い・事件編】蝦夷征伐②――阿弖流為と坂上田村麻呂、774年から811年の三十八年戦争

774年、海道蝦夷が桃生城を襲撃した。伊治公呰麻呂の乱、阿弖流為が朝廷軍を破った巣伏の戦い、坂上田村麻呂の遠征、胆沢城造営、811年の文室綿麻呂による征討まで、38年間に及んだ朝廷と蝦夷の戦いを追う。宝亀5年(774年)7月25日。陸奥国か...
戦い・事件

【戦い・事件編】阿倍比羅夫の蝦夷遠征――658年、180艘の船団はなぜ北へ向かったのか

meta_description:658年、阿倍比羅夫は180艘の船団を率いて北へ向かった。齶田・渟代・津軽の蝦夷との交渉、渡嶋蝦夷との接触、660年の粛慎との戦いまで、『日本書紀』から7世紀の北方遠征を追う。斉明天皇4年(658年)4月、...
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【人物編 Vol.12】大伴旅人――隼人征討から「令和」の典拠・梅花の宴へ

天平2年(730)正月13日。大宰帥・大伴旅人の邸宅に、大宰府や九州諸国の官人たちが集まった。庭には白い梅が咲いていた。参加者たちは梅を眺めながら酒を酌み交わし、それぞれ歌を詠んだ。後に「梅花の宴」と呼ばれる宴である。この日に詠まれた32首...
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【人物編 Vol.11】中大兄皇子(天智天皇)――蘇我入鹿を討った皇子は、なぜ23年後に即位したのか

645年6月12日。飛鳥板蓋宮で、中大兄皇子は長槍を手にして蘇我入鹿を待っていた。皇極天皇が見守る宮中で入鹿が殺され、翌日には父・蘇我蝦夷も死んだ。中大兄皇子は、この乙巳の変の中心人物だった。ところが、政変後に皇位についたのは中大兄皇子では...
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【人物編 Vol.10】中臣鎌足(藤原鎌足)――中大兄皇子と乙巳の変を起こし、藤原氏の祖となった男

645年6月12日。飛鳥板蓋宮で、中大兄皇子が長槍を握り、中臣鎌足が弓矢を手にして蘇我入鹿を待っていた。宮門は閉じられ、入鹿は剣を外して宮中へ入っている。やがて佐伯子麻呂と葛城稚犬養網田が入鹿へ斬りかかり、皇極天皇の御前で入鹿は殺された。乙...
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【人物編 Vol.9】蘇我倉山田石川麻呂――蘇我入鹿を乙巳の変で倒した右大臣は、なぜ4年後に自害したのか

649年3月25日。蘇我倉山田石川麻呂は、自ら造営を進めてきた山田寺にいた。4年前の乙巳の変では、中大兄皇子や中臣鎌足とともに蘇我入鹿を倒し、孝徳天皇の即位後には右大臣となった人物である。その石川麻呂が、今度は謀反を疑われていた。密告したの...
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【人物編 Vol.8】蘇我入鹿――山背大兄王を滅ぼした男は、なぜ乙巳の変で殺されたのか

645年6月12日。飛鳥板蓋宮に、蘇我入鹿の姿があった。『日本書紀』は入鹿を疑い深い人物とし、昼夜を問わず剣を身につけていたと記している。中臣鎌足は、そのことを知っていた。そこで俳優に働きかけ、入鹿が笑った隙に剣を外させたという。宮中では三...
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