第70回
長徳2年(996)正月16日。
平安京で、朝廷を揺るがす事件が起きた。
狙われたのは、花山法皇。10年前まで天皇だった人物である。
矢を射かけたのは、内大臣・藤原伊周と中納言・藤原隆家の従者たちである。
伊周と隆家は、前年に亡くなった関白・藤原道隆の息子である。妹の定子は一条天皇の中宮。父・道隆の系統は後世、中関白家と呼ばれる。
つまりこの事件は、政権の中枢にいた若い藤原兄弟の一派が、元天皇に武力を向けた事件である。
しかも同時代史料『小右記』の逸文には、花山法皇側の童子2人が殺され、首を持ち去られたという情報まで残る。
華やかな『枕草子』の世界と同じ時代、京都ではこれほど荒々しい事件が起きていた。
しかも後世の『栄花物語』が語る発端は、政略でも謀反でもない。
伊周の恋の勘違いである。
花山法皇――19歳で天皇の座を去った男
花山法皇は安和元年(968)生まれ。父は冷泉天皇、母は藤原伊尹の娘・懐子である。
永観2年(984)、数え17歳で即位した。
在位は約2年で終わった。
寛和2年(986)6月、花山天皇は夜の内裏を抜け出し、山科の元慶寺で出家した。数え19歳である。
これが寛和の変である。
寵愛していた女御・藤原忯子の死に深く悲しんでいた花山天皇に接近したのが、藤原兼家の子・道兼だった。花山天皇が出家して退位すると、兼家の外孫である懐仁親王が一条天皇として即位し、兼家は摂政となった。
それから10年後。28歳になった花山法皇の女性関係が、伊周・隆家兄弟を巻き込む大事件へつながった。
伊周の恋人は「三の君」――花山法皇は「四の君」へ
事件の舞台となったのは、故太政大臣藤原為光の邸宅である。
『栄花物語』によれば、伊周は為光の娘の一人、いわゆる三の君のもとへ通っていた。
一方、花山法皇も為光の邸へ通っていた。相手は三の君ではなく、その妹の四の君である。
姉妹は同じ為光邸に暮らしていた。
ところが伊周は、花山法皇も自分の三の君を目当てに通っていると思い込んだ。
当時の伊周は数え23歳。正暦5年(994)には内大臣へ昇り、前年に亡くなった父・道隆の後継者として大きな政治力を持っていた。
恋敵だと思った相手は、ただの貴族ではない。
元天皇である花山法皇だった。
「少し脅してやろう」――18歳の隆家が動く
伊周がこの話をした相手が、5歳年下の弟藤原隆家である。
隆家は天元2年(979)生まれ。事件当時は数え18歳。それでもすでに中納言という高位にあった。
若い隆家の周辺では、すでに荒々しい事件が起きていた。
前年の長徳元年(995)7月には、隆家の従者と叔父・藤原道長の従者が七条大路で乱闘している。中関白家と道長の対立が、従者同士の実力行使にまで広がっていた時期である。
『栄花物語』では、兄の話を聞いた隆家が、花山法皇を「脅してやろう」と動いた。
そして996年正月16日、元天皇に向かって矢が放たれた。
996年正月16日――法皇の袖を貫いた一本の矢
長徳2年(996)正月16日。
花山法皇は為光邸へ出向いていた。
月の明るい夜だったと『栄花物語』は描く。隆家は2、3人ほどの者を伴い、為光邸から帰る花山法皇を狙った。
目的は殺害ではなく威嚇だった。ところが放たれた矢は、花山法皇の装束の袖を貫いた。
後世の『日本紀略』にも、伊周・隆家の従人らが花山法皇のいる場所へ矢を射かけたことが記されている。
矢を放った実行者は、伊周・隆家本人ではなく兄弟の従者たちである。
脅すつもりで始めた行動は、元天皇への奉射という重大事件になった。
しかも惨事は、矢一本では終わらない。
童子2人を殺害――首まで持ち去った
同時代を生きた公卿・藤原実資の日記『小右記』の逸文には、事件当日のさらに生々しい情報が残る。
右大臣・藤原道長から実資へ届いた知らせによると、花山法皇と伊周・隆家が故為光邸で遭遇し、「闘乱」が起こった。
その結果、花山法皇側の童子2人が殺害され、首を取られて持ち去られたという。
死者は2人。
恋愛をめぐる威嚇は、殺人を伴う乱闘へ発展したのである。
ここは史料を分けて読むと面白い。
後世の『栄花物語』は、三の君と四の君をめぐる伊周の勘違い、隆家による威嚇、法皇の袖を貫いた矢を描く。
一方、事件と同時代の『小右記』の逸文が伝えるのは、為光邸での遭遇、闘乱、童子2人の殺害である。
二つを重ねることで、996年正月16日の夜に起きた事件の姿が浮かび上がる。
花山法皇は、なぜ訴え出なかったのか
これほどの事件を受けても、花山法皇は自ら大々的に訴え出なかった。
『栄花物語』は、その理由まで伝えている。
花山は出家した法皇である。その身で女性のもとへ通っていた事情まで公になれば、後世まで残る恥になる。
そこで花山法皇は事件を伏せようとした。
それでも、元天皇に矢が射られ、2人の死者まで出た事件である。情報は道長へ届き、実資も知るところとなった。
さらに996年春、伊周と隆家には別の重大な嫌疑まで重なっていく。
呪詛、大元帥法――兄弟を追い詰めた三つの罪状
4月24日の『小右記』には、伊周・隆家処分に関わる三つの問題が記されている。
一つ目が、花山法皇を射たこと。
二つ目が、一条天皇の母である東三条院・藤原詮子への呪詛。
三つ目が、大元帥法を私的に修したことである。
大元帥法は国家鎮護のために修される秘法であり、私的に行うこと自体が問題になった。
詮子は伊周・隆家の叔母であると同時に、叔父・藤原道長を強く支持していた人物でもある。
正月の奉射事件から約3か月。兄弟をめぐる問題は、恋愛絡みの乱闘から朝廷を揺るがす政変へ変わった。
この一連の事件が長徳の変である。
4月24日――伊周は大宰権帥、隆家は出雲権守へ
長徳2年(996)4月24日、兄弟への処分が決まった。
内大臣・藤原伊周は大宰権帥。
中納言・藤原隆家は出雲権守。
中央政界の頂点近くにいた兄弟が、一気に地方官へ落とされたのである。
伊周は数え23歳、隆家は18歳。
前年の春まで、父・道隆は関白として政権の頂点にいた。伊周は内大臣、隆家も10代で公卿となり、中関白家の未来は明るく見えていた。
それから約1年で、兄弟は都から追われる立場になった。
中関白家の転落は、ここで決定的となった。
官人が中宮の御所へ――定子は髪を切った
処分が決まっても、兄弟はすぐに任地へ向かわなかった。
朝廷は追捕の使者を出す。兄弟の妹である中宮藤原定子の御所にも官人が踏み込んだ。
定子は一条天皇の后であり、そのそばには清少納言が仕えていた。
前年まで関白の娘として栄華の中心にいた定子の御所へ、兄たちを追う官人が入る。
中関白家の立場がどれほど急激に変わったかを象徴する場面である。
そしてこの騒動のなか、定子は自ら髪を切って出家した。
その年の12月16日、定子は一条天皇との間に第一皇女脩子内親王を出産する。
定子は身ごもったまま髪を下ろしたのである。
母・高階貴子――「もう一度、息子に会いたい」
伊周・隆家・定子の母が高階貴子である。
漢詩文にも通じた才女で、関白・道隆の妻として栄華の中心にいた女性だった。
996年、息子2人は左遷され、娘の定子は出家した。
貴子自身も髪を下ろした。
『栄花物語』には、病状を悪化させた貴子が、伊周にもう一度会ってから死にたいと繰り返し願う姿が描かれている。
このころ伊周は播磨、隆家は但馬に留め置かれていた。
前年の995年には夫・道隆を失っている。
そして貴子も996年のうちに世を去った。
夫の死からわずか1年余り。道隆の家族は、栄華の頂点から一気に崩れていったのである。
道長の時代へ――最大の政敵・伊周が消えた
中関白家の転落によって、藤原氏内部の力関係は大きく変わった。
その中心に立ったのが、伊周・隆家の叔父藤原道長である。
長徳元年(995)4月に道隆が亡くなると、その弟・道兼が関白となった。しかし道兼も就任後まもなく死去する。
次の主導権を争ったのが、道隆の嫡男・伊周と、その叔父・道長だった。
勝ったのは道長である。道長は内覧を許され、右大臣となった。
そして翌996年、最大の競争相手だった伊周が長徳の変で大宰権帥へ落とされ、隆家も出雲権守となった。
道長の前から中関白家という大きな対抗勢力が後退した。
同年7月、道長は左大臣へ進む。
さらに長保元年(999)、娘の彰子を一条天皇へ入内させた。
後に「この世をば」の歌で象徴される道長の栄華。その政権確立を大きく加速させたのが、996年の長徳の変である。
清少納言は、この大事件を詳しく書かなかった
この事件には、もう一人有名な人物がいる。
清少納言である。
清少納言は定子に仕え、『枕草子』に定子の宮廷生活を鮮やかに残した。隆家も作品中に登場し、「くらげの骨」をめぐる軽妙な言葉遊びを交わしている。
ところが、定子の兄2人が失脚し、定子自身まで出家した長徳の変について、『枕草子』は事件記録のような形では詳しく語らない。
『枕草子』に強く残っているのは、中関白家が政治的に追い込まれていくなかでも失われなかった、定子の宮廷の明るさと華やかさである。
その背景に996年の現実があったことを知ると、『枕草子』の華やかさは別の表情を見せる。
長徳2年(996)正月16日。
『栄花物語』が伝える一人の女性をめぐる勘違いは、元天皇への奉射と、死者2人を出す闘乱へ発展した。
約3か月後、伊周と隆家は中央政界から追われた。
その年の7月には、道長が左大臣へ進む。
そして23年後の寛仁3年(1019)、18歳でこの事件の渦中にいた隆家は、大宰権帥として刀伊の入寇に立ち向かうことになる。
元天皇へ矢を射かけて失脚した青年が、のちに九州防衛の指揮官になる。
花山法皇襲撃事件は、中関白家の運命だけでなく、藤原隆家という人物の前半生を決定づけた事件でもあった。
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