人物

人物

【人物編Vol.51】源義朝――平治の乱で平清盛に敗れた、頼朝の父

平治2年(1160)正月3日。尾張国知多郡野間で、一人の武将が殺された。源義朝。数え38歳だった。ほんの数日前まで、義朝は京都で軍勢を率いていた。藤原信頼とともに後白河上皇の御所・三条殿を襲い、信西を死に追い込み、一時は朝廷の主導権まで握...
人物

【人物編Vol.50】平忠盛――源為義と同い年、なぜ平氏だけが出世できたのか?

仁平3年(1153)1月15日。平忠盛が58歳で死んだ。死の直前まで、官位は正四位上。官職は刑部卿。公卿の一歩手前まで来ていた。左大臣・藤原頼長は『台記』に、忠盛が数か国の国司を務めて巨万の富を蓄え、郎党を各地に抱え、武威も人に勝ってい...
人物

【人物編Vol.49】源為義――息子・義朝に処刑された「八幡太郎」の孫

保元元年(1156)7月30日。京都北郊の船岡山で、源氏の武者たちが処刑された。中心にいたのは源為義。祖父は「八幡太郎」の名で知られた源義家。父は朝廷から追討された源義親。長男は源義朝で、その子には源頼朝、範頼、義経がいる。別の息子・...
人物

【人物編Vol.48】源義光――武田氏・佐竹氏へつながった「新羅三郎」の光と影

1087年――兄のため、官職を捨てて奥州へ寛治元年(1087)、源義光は京都にいた。このとき、陸奥では兄・源義家が清原家衡・武衡らと戦っている。後世「後三年合戦」と呼ばれる戦争である。前年、義家は沼柵を攻めて敗れていた。冬の出羽で雪と兵糧...
人物

【人物編Vol.47】柴田勝家――一度は信長に刃を向けた男、北陸の覇将へ上り詰めるまで

1583年4月24日――北庄城、炎上天正11年(1583)4月24日、越前・北庄城が炎に包まれた。城主は柴田勝家。織田信長の弟・信行に仕え、かつては信長と戦った男である。その後は信長の重臣となり、越前を預けられ、北陸方面の軍事を任されるまで...
人物

【人物編Vol.46】平正盛――源義家の息子を討ち、平氏台頭の道を開いた男

1108年――源義家の息子を討った男天仁元年(1108)正月。出雲国で、一つの戦いが終わった。討たれたのは源義親。「八幡太郎」源義家の次男であり、兄・義宗の早世後には河内源氏の嫡男となった人物である。その義親を討ったのが、平正盛。後に...
人物

【人物編Vol.45】源義親――父は源義家、息子は為義――源氏の名門に生まれた「問題児」

1108年1月――父の名声とは正反対の最期天仁元年(1108)1月。出雲で一人の武将が討たれた。源義親。父は「八幡太郎」源義家。前九年合戦、後三年合戦を経験し、東国武士から強い信望を集めた河内源氏の中心人物である。義親はその次男とし...
人物

【人物編Vol.44】源義家――なぜ東国武士は、朝廷より「八幡太郎」を選んだのか

1039年――河内源氏の長男として生まれる長暦3年(1039)、源義家は生まれた。父は源頼義、祖父は源頼信。母は平直方の娘である。頼信は平忠常の乱を収束へ導き、坂東に河内源氏の名を広めた武将だった。頼義も相模守などを務めながら東国との...
人物

【人物編Vol.43】藤原清衡――父を殺され、妻子を失った男が「黄金の平泉」を築くまで

1056年――戦乱の中に生まれた少年天喜4年(1056)。のちに奥州藤原氏の初代となる藤原清衡が生まれた。父は藤原経清。母は安倍頼時の娘である。父方には藤原氏、母方には奥六郡を支配した安倍氏の血を引く。しかし清衡が生まれた1056年は、安...
人物

【人物編Vol.42】清原武則――1万余の兵を率い、前九年の役を終わらせた出羽の実力者

1062年――源頼義の前に、1万余の軍勢が現れた康平5年(1062)。前九年の役が始まってから12年目。源頼義は、まだ安倍氏を倒せずにいた。5年前の黄海では安倍貞任に大敗し、自分を含めてわずか7騎ほどまで追い詰められた。その後も決定的な勝...
タイトルとURLをコピーしました