平安

戦い・事件

【戦い・事件編】大蔵合戦――15歳の「悪源太」義平、叔父・義賢を討つ

久寿2年(1155)8月16日、武蔵国で、河内源氏の叔父と甥が戦った。叔父は、源為義の子・源義賢。甥は、義賢の兄・源義朝の長男、源義平である。義平は1141年生まれで、このとき数え15歳だった。戦いは義平の勝利に終わり、義賢は死亡した。...
人物

【人物編Vol.48】源義光――武田氏・佐竹氏へつながった「新羅三郎」の光と影

1087年――兄のため、官職を捨てて奥州へ寛治元年(1087)、源義光は京都にいた。このとき、陸奥では兄・源義家が清原家衡・武衡らと戦っている。後世「後三年合戦」と呼ばれる戦争である。前年、義家は沼柵を攻めて敗れていた。冬の出羽で雪と兵糧...
戦い・事件

【戦い・事件編】源義忠暗殺事件――源氏の棟梁を殺したのは誰だったのか? 河内源氏を崩壊させた1109年の暗殺

1109年2月――河内源氏の棟梁が、京都で斬られた天仁2年(1109)2月。京都で、河内源氏の棟梁が何者かに襲われた。源義忠。父は「八幡太郎」源義家。前九年合戦、後三年合戦を経験し、東国武士の間に大きな名声を築いた人物である。その義家が...
人物

【人物編Vol.46】平正盛――源義家の息子を討ち、平氏台頭の道を開いた男

1108年――源義家の息子を討った男天仁元年(1108)正月。出雲国で、一つの戦いが終わった。討たれたのは源義親。「八幡太郎」源義家の次男であり、兄・義宗の早世後には河内源氏の嫡男となった人物である。その義親を討ったのが、平正盛。後に...
人物

【人物編Vol.45】源義親――父は源義家、息子は為義――源氏の名門に生まれた「問題児」

1108年1月――父の名声とは正反対の最期天仁元年(1108)1月。出雲で一人の武将が討たれた。源義親。父は「八幡太郎」源義家。前九年合戦、後三年合戦を経験し、東国武士から強い信望を集めた河内源氏の中心人物である。義親はその次男とし...
戦い・事件

【戦い・事件編】源義親の乱――英雄・源義家の息子が朝敵へ転落した日

1108年正月――源義家の後継者が、出雲で追い詰められる嘉承3年(1108)正月。山陰道を西へ進んできた軍勢が、出雲国へ入った。大将は平正盛。平清盛の祖父として知られる男である。正盛自身が直接率いていた兵は、およそ240~250人。...
人物

【人物編Vol.44】源義家――なぜ東国武士は、朝廷より「八幡太郎」を選んだのか

1039年――河内源氏の長男として生まれる長暦3年(1039)、源義家は生まれた。父は源頼義、祖父は源頼信。母は平直方の娘である。頼信は平忠常の乱を収束へ導き、坂東に河内源氏の名を広めた武将だった。頼義も相模守などを務めながら東国との...
人物

【人物編Vol.43】藤原清衡――父を殺され、妻子を失った男が「黄金の平泉」を築くまで

1056年――戦乱の中に生まれた少年天喜4年(1056)。のちに奥州藤原氏の初代となる藤原清衡が生まれた。父は藤原経清。母は安倍頼時の娘である。父方には藤原氏、母方には奥六郡を支配した安倍氏の血を引く。しかし清衡が生まれた1056年は、安...
戦い・事件

【戦い・事件編】後三年合戦――前九年の役の勝者・清原氏は、なぜ内側から滅びたのか

1087年11月14日――金沢柵、陥落寛治元年(1087)11月14日。出羽国の金沢柵が落ちた。現在の秋田県横手市金沢周辺である。長い包囲によって柵内の食料は尽き、兵だけでなく、女や子どもまで飢えていた。外へ逃げようとする者も現れたが、...
人物

【人物編Vol.42】清原武則――1万余の兵を率い、前九年の役を終わらせた出羽の実力者

1062年――源頼義の前に、1万余の軍勢が現れた康平5年(1062)。前九年の役が始まってから12年目。源頼義は、まだ安倍氏を倒せずにいた。5年前の黄海では安倍貞任に大敗し、自分を含めてわずか7騎ほどまで追い詰められた。その後も決定的な勝...
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