平安

戦い・事件

【戦い・事件編】以仁王の挙兵――77歳の源頼政、宇治橋で平氏に挑む

治承4年(1180年)5月26日、源頼政は宇治の平等院で最期を迎えた。数え77歳。2年前には従三位に昇り、「源三位」と呼ばれた老将である。保元の乱では後白河天皇方、平治の乱では最終的に平清盛方につき、河内源氏が京都から消えたあとも朝廷に残っ...
戦い・事件

【戦い・事件編】治承三年の政変――平清盛と後白河法皇、20年の協力関係が崩壊

治承3年(1179年)11月14日、平清盛が福原から京都へ入った。『山槐記』は、その軍勢を数千と記している。翌15日には関白・松殿基房とその子・師家が政界から退けられ、代わって20歳の近衛基通が関白となった。17日には太政大臣・藤原師長をは...
人物

【人物編Vol.53】平重盛――「忠か、孝か」父・清盛に逆らった平氏の嫡男

平清盛の死後、平氏一門を率いたのは三男の宗盛だった。そのため宗盛が初めから清盛の後継者だったように見えるが、本来その位置にいたのは長男の平重盛である。保延4年(1138年)に生まれた重盛は、19歳で保元の乱に出陣し、平治の乱でも父とともに戦...
戦い・事件

【戦い・事件編】鹿ケ谷の陰謀――密議、裏切り、処刑――平清盛への反乱計画

安元3年(1177)6月1日。京都には、すでに武装した兵が集められていた。標的は比叡山延暦寺。後白河法皇が山門への武力攻撃を決め、平重盛・宗盛ら平氏の兵をはじめ、近江・美濃などの武士まで動員されようとしていた。ところが、その軍勢は比叡山へ向...
人物

【人物編Vol.52】源義平――15歳で叔父を討ち、20歳で平清盛を狙った「悪源太」

永暦元年(1160)正月。京都・六条河原に、一人の若い武者が引き出された。源義平。源義朝の長男で、源頼朝の異母兄にあたる。前年12月の平治の乱では、父・義朝とともに平清盛方と戦った。敗れたあと一度は東国へ向かったものの、父が尾張で殺されたこ...
人物

【人物編Vol.51】源義朝――平治の乱で平清盛に敗れた、頼朝の父

平治2年(1160)正月3日。尾張国知多郡野間で、一人の武将が殺された。源義朝。数え38歳だった。ほんの数日前まで、義朝は京都で軍勢を率いていた。藤原信頼とともに後白河上皇の御所・三条殿を襲い、信西を死に追い込み、一時は朝廷の主導権まで握...
戦い・事件

【戦い・事件編】平治の乱――源義朝はなぜ平清盛に敗れたのか?

平治元年(1159)12月9日、夜。京都の三条殿を、武装した兵が包囲した。ここは後白河上皇の御所である。院近臣の藤原信頼と、その軍事力を支える源義朝が兵を動かした。標的は、保元の乱後に後白河政権の実務を握っていた信西(藤原通憲)だった。...
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【人物編Vol.50】平忠盛――源為義と同い年、なぜ平氏だけが出世できたのか?

仁平3年(1153)1月15日。平忠盛が58歳で死んだ。死の直前まで、官位は正四位上。官職は刑部卿。公卿の一歩手前まで来ていた。左大臣・藤原頼長は『台記』に、忠盛が数か国の国司を務めて巨万の富を蓄え、郎党を各地に抱え、武威も人に勝ってい...
人物

【人物編Vol.49】源為義――息子・義朝に処刑された「八幡太郎」の孫

保元元年(1156)7月30日。京都北郊の船岡山で、源氏の武者たちが処刑された。中心にいたのは源為義。祖父は「八幡太郎」の名で知られた源義家。父は朝廷から追討された源義親。長男は源義朝で、その子には源頼朝、範頼、義経がいる。別の息子・...
戦い・事件

【戦い・事件編】保元の乱――勝者となった義朝と清盛 父子・兄弟・叔父甥が殺し合った、京都の四時間

保元元年(1156)7月11日未明。夜明け前の京都を、三つの武士団が東へ進んでいた。二条大路を進む平清盛、300余騎。大炊御門大路を進む源義朝、200余騎。近衛大路を進む源義康、100余騎。同時代の日記『兵範記』が記す兵力だけで600...
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