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【人物編 Vol.12】大伴旅人――隼人征討から「令和」の典拠・梅花の宴へ

天平2年(730)正月13日。大宰帥・大伴旅人の邸宅に、大宰府や九州諸国の官人たちが集まった。庭には白い梅が咲いていた。参加者たちは梅を眺めながら酒を酌み交わし、それぞれ歌を詠んだ。後に「梅花の宴」と呼ばれる宴である。この日に詠まれた32首...
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【人物編 Vol.11】中大兄皇子(天智天皇)――蘇我入鹿を討った皇子は、なぜ23年後に即位したのか

645年6月12日。飛鳥板蓋宮で、中大兄皇子は長槍を手にして蘇我入鹿を待っていた。皇極天皇が見守る宮中で入鹿が殺され、翌日には父・蘇我蝦夷も死んだ。中大兄皇子は、この乙巳の変の中心人物だった。ところが、政変後に皇位についたのは中大兄皇子では...
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【人物編 Vol.10】中臣鎌足(藤原鎌足)――中大兄皇子と乙巳の変を起こし、藤原氏の祖となった男

645年6月12日。飛鳥板蓋宮で、中大兄皇子が長槍を握り、中臣鎌足が弓矢を手にして蘇我入鹿を待っていた。宮門は閉じられ、入鹿は剣を外して宮中へ入っている。やがて佐伯子麻呂と葛城稚犬養網田が入鹿へ斬りかかり、皇極天皇の御前で入鹿は殺された。乙...
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【人物編 Vol.9】蘇我倉山田石川麻呂――蘇我入鹿を乙巳の変で倒した右大臣は、なぜ4年後に自害したのか

649年3月25日。蘇我倉山田石川麻呂は、自ら造営を進めてきた山田寺にいた。4年前の乙巳の変では、中大兄皇子や中臣鎌足とともに蘇我入鹿を倒し、孝徳天皇の即位後には右大臣となった人物である。その石川麻呂が、今度は謀反を疑われていた。密告したの...
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【人物編 Vol.8】蘇我入鹿――山背大兄王を滅ぼした男は、なぜ乙巳の変で殺されたのか

645年6月12日。飛鳥板蓋宮に、蘇我入鹿の姿があった。『日本書紀』は入鹿を疑い深い人物とし、昼夜を問わず剣を身につけていたと記している。中臣鎌足は、そのことを知っていた。そこで俳優に働きかけ、入鹿が笑った隙に剣を外させたという。宮中では三...
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【人物編 Vol.7】蘇我蝦夷――蘇我馬子の権力を継いだ男、乙巳の変で自害

645年6月。飛鳥板蓋宮で、蘇我入鹿が殺された。中大兄皇子、中臣鎌足らによる乙巳の変である。入鹿の遺体は父・蘇我蝦夷のもとへ送られた。蝦夷の周囲には、まだ武装した東漢氏らが集まっていた。戦おうとすれば、抵抗する力は残されていた。しかし兵たち...
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【人物編 Vol.6】山背大兄王――なぜ蘇我入鹿に滅ぼされたのか? 聖徳太子の一族、最後の日

643年11月1日。蘇我入鹿の命を受けた軍勢が、斑鳩の山背大兄王を襲撃した。王に仕える三成は数十人の舎人を率いて迎え撃ち、攻撃側の将・土師娑婆連を戦死させる。その間に山背大兄王は妃や子どもたちを連れ、斑鳩から脱出した。逃れた先は生駒山だった...
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【人物編 Vol.5】聖徳太子(厩戸皇子)――推古天皇・蘇我馬子と築いた飛鳥時代の政治

冠位十二階、十七条憲法、遣隋使。日本史では、これらの政策とともに「聖徳太子」の名が語られてきた。一度に多くの人の話を聞き分けた。幼いころから並外れた知恵を持っていた。仏教を深く理解し、日本の政治制度を整えた。後世の聖徳太子は、飛鳥時代を代表...
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【人物編 Vol.4】崇峻天皇――なぜ蘇我馬子に暗殺されたのか? 臣下に殺された第32代天皇

592年11月3日、大臣・蘇我馬子は群臣に「今日は東国からの調を献上する日である」と告げた。人々が集まるなか、馬子の命令を受けた東漢直駒が崇峻天皇を殺害した。『日本書紀』は、この事件について「馬子宿禰、群臣を欺きて曰はく、『今日、東国の調を...
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【人物編 Vol.3】蘇我馬子――なぜ崇峻天皇を暗殺できたのか? 聖徳太子と飛鳥時代を動かした男

592年11月3日。第32代・崇峻天皇が殺された。実行したのは、東漢直駒。そして『日本書紀』は、その背後にいた人物の名を明確に記している。蘇我馬子である。崇峻天皇は、馬子自身が即位に深く関わった天皇だった。その天皇と対立すると、馬子は東漢直...
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