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人物

【人物編Vol.52】源義平――15歳で叔父を討ち、20歳で平清盛を狙った「悪源太」

永暦元年(1160)正月。京都・六条河原に、一人の若い武者が引き出された。源義平。源義朝の長男で、源頼朝の異母兄にあたる。前年12月の平治の乱では、父・義朝とともに平清盛方と戦った。敗れたあと一度は東国へ向かったものの、父が尾張で殺されたこ...
人物

【人物編Vol.51】源義朝――平治の乱で平清盛に敗れた、頼朝の父

平治2年(1160)正月3日。尾張国知多郡野間で、一人の武将が殺された。源義朝。数え38歳だった。ほんの数日前まで、義朝は京都で軍勢を率いていた。藤原信頼とともに後白河上皇の御所・三条殿を襲い、信西を死に追い込み、一時は朝廷の主導権まで握...
戦い・事件

【戦い・事件編】平治の乱――源義朝はなぜ平清盛に敗れたのか?

平治元年(1159)12月9日、夜。京都の三条殿を、武装した兵が包囲した。ここは後白河上皇の御所である。院近臣の藤原信頼と、その軍事力を支える源義朝が兵を動かした。標的は、保元の乱後に後白河政権の実務を握っていた信西(藤原通憲)だった。...
人物

【人物編Vol.50】平忠盛――源為義と同い年、なぜ平氏だけが出世できたのか?

仁平3年(1153)1月15日。平忠盛が58歳で死んだ。死の直前まで、官位は正四位上。官職は刑部卿。公卿の一歩手前まで来ていた。左大臣・藤原頼長は『台記』に、忠盛が数か国の国司を務めて巨万の富を蓄え、郎党を各地に抱え、武威も人に勝ってい...
人物

【人物編Vol.49】源為義――息子・義朝に処刑された「八幡太郎」の孫

保元元年(1156)7月30日。京都北郊の船岡山で、源氏の武者たちが処刑された。中心にいたのは源為義。祖父は「八幡太郎」の名で知られた源義家。父は朝廷から追討された源義親。長男は源義朝で、その子には源頼朝、範頼、義経がいる。別の息子・...
戦い・事件

【戦い・事件編】保元の乱――勝者となった義朝と清盛 父子・兄弟・叔父甥が殺し合った、京都の四時間

保元元年(1156)7月11日未明。夜明け前の京都を、三つの武士団が東へ進んでいた。二条大路を進む平清盛、300余騎。大炊御門大路を進む源義朝、200余騎。近衛大路を進む源義康、100余騎。同時代の日記『兵範記』が記す兵力だけで600...
戦い・事件

【戦い・事件編】大蔵合戦――15歳の「悪源太」義平、叔父・義賢を討つ

久寿2年(1155)8月16日、武蔵国で、河内源氏の叔父と甥が戦った。叔父は、源為義の子・源義賢。甥は、義賢の兄・源義朝の長男、源義平である。義平は1141年生まれで、このとき数え15歳だった。戦いは義平の勝利に終わり、義賢は死亡した。...
人物

【人物編Vol.48】源義光――武田氏・佐竹氏へつながった「新羅三郎」の光と影

1087年――兄のため、官職を捨てて奥州へ寛治元年(1087)、源義光は京都にいた。このとき、陸奥では兄・源義家が清原家衡・武衡らと戦っている。後世「後三年合戦」と呼ばれる戦争である。前年、義家は沼柵を攻めて敗れていた。冬の出羽で雪と兵糧...
人物

【人物編Vol.47】柴田勝家――一度は信長に刃を向けた男、北陸の覇将へ上り詰めるまで

1583年4月24日――北庄城、炎上天正11年(1583)4月24日、越前・北庄城が炎に包まれた。城主は柴田勝家。織田信長の弟・信行に仕え、かつては信長と戦った男である。その後は信長の重臣となり、越前を預けられ、北陸方面の軍事を任されるまで...
戦い・事件

【戦い・事件編】源義忠暗殺事件――源氏の棟梁を殺したのは誰だったのか? 河内源氏を崩壊させた1109年の暗殺

1109年2月――河内源氏の棟梁が、京都で斬られた天仁2年(1109)2月。京都で、河内源氏の棟梁が何者かに襲われた。源義忠。父は「八幡太郎」源義家。前九年合戦、後三年合戦を経験し、東国武士の間に大きな名声を築いた人物である。その義家が...
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