2026-08

戦い・事件

【戦い・事件編】賤ヶ岳の戦い(前編)――勝敗を分けたのは「冬」だった。秀吉が先に動いた理由

――清須会議から、佐久間盛政が大岩山を狙うまで天正10年(1582)6月2日。京都・本能寺。織田信長が明智光秀の軍勢に襲われた。信長は自害。嫡男・織田信忠も二条御所で命を絶った。天下統一を目前にしていた織田家は、わずか一日の間に当主と後継者...
戦い・事件

【戦い・事件編】宇佐八幡宮神託事件――道鏡はなぜ天皇になれなかったのか? 769年、和気清麻呂が持ち帰った神託

神護景雲3年(769)。九州の宇佐八幡から、奈良の朝廷を揺るがす神託がもたらされた。「道鏡を皇位につければ、天下は太平になる」道鏡は皇族ではない。称徳天皇の信任を受け、朝廷で絶大な権力を握っていたとはいえ、その出自は皇統とは無縁だった。その...
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【戦い・事件編】なぜ最高権力者・藤原仲麻呂は8日で敗れたのか?――恵美押勝の乱と764年の政変

天平宝字8年(764)9月18日。琵琶湖西岸の近江国高島郡。かつて朝廷の最高位にまで昇った藤原仲麻呂は、追討軍に追い詰められていた。近江へ進もうとすれば橋を焼かれ、越前へ向かえば関を押さえられる。三尾埼で追討軍に敗れた仲麻呂は、勝野鬼江から...
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【戦い・事件編】藤原広嗣の乱――なぜ藤原広嗣は1万余の兵を率いて朝廷に反乱したのか? 740年、板櫃川の戦い

天平12年(740)10月9日。豊前国を流れる板櫃川を挟み、二つの軍勢が向かい合っていた。西岸には藤原広嗣。その兵力は1万余。東岸には朝廷の追討軍6,000余が布陣していた。広嗣は大宰少弐として九州に赴任していた藤原氏の貴族である。約40日...
人物

【人物編 Vol.19】藤原仲麻呂(恵美押勝)――光明皇太后の信任から淳仁天皇、764年の最期まで

天平宝字8年(764)9月18日。近江国高島郡の勝野鬼江。藤原仲麻呂は、琵琶湖へ逃れようとしたところを石村村主石楯に捕らえられ、斬首された。その数年前まで、仲麻呂は太師に昇り、正一位という人臣最高の位階に達していた。淳仁天皇と深く結びつき、...
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【戦い・事件編】橘奈良麻呂の変――藤原仲麻呂打倒計画はなぜ実行前に潰れたのか、757年の密告と一斉逮捕

757年(天平勝宝9歳)7月2日。藤原仲麻呂のもとへ、一人の官人から密告が入った。告発したのは上道斐太都。橘奈良麻呂らが藤原仲麻呂を排除し、皇太子・大炊王を退け、新たな天皇を立てようとしているという内容だった。翌3日。奈良麻呂をはじめ、黄文...
人物

【人物編 Vol.20】吉備真備――18年の唐留学から藤原仲麻呂の乱、右大臣まで

天平宝字8年(764)。藤原仲麻呂と孝謙上皇側の対立が、武力衝突へ発展した。その追討側に加わった一人が、吉備真備だった。このとき真備は70歳前後。約半世紀前には遣唐留学生として海を渡り、18年近く唐で学んだ人物である。帰国後は皇太子・阿倍内...
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【人物編Vol.18】藤原良房――臣下初の摂政、藤原北家の権力を築いた男

――「藤原氏の時代」は、この男から始まった平安時代の政治史を語るとき、藤原道長の名前はあまりにも有名だ。しかし、道長が権力の頂点に立つ約150年前。すでに一人の藤原氏が、後世の摂関政治につながる政治の形を作り始めていた。その人物が、藤原良房...
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【戦い・事件編】承和の変から応天門の変へ――平安朝廷を変えた二つの政変

――嵯峨天皇の死後、藤原良房はどうやって権力を握ったのか前回は、嵯峨天皇を取り上げた。810年、嵯峨天皇は兄・平城上皇との対立を制し、薬子の変を終結させた。その後、嵯峨天皇は蔵人所を設置し、検非違使を整え、藤原冬嗣らを重用した。そして、嵯峨...
人物

【人物編 vol.16】藤原薬子とは何者か――平城上皇を支え、薬子の変で命を絶った尚侍

第32回平安時代が始まって間もない9世紀初頭。朝廷の政治に大きな影響力を持った一人の女性がいた。藤原薬子である。父は、長岡京造営の中心人物となった藤原種継。夫は藤原縄主。そして薬子自身は、桓武天皇の皇太子だった安殿親王に仕え、安殿親王が平城...
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