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奈良時代
奈良時代
奈良時代は、平城京を都として律令国家の仕組みが整えられていく一方、皇族・貴族・僧侶による権力争いが相次いだ時代です。九州で起きた藤原広嗣の乱(740年)、橘奈良麻呂の変(757年)、恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱(764年)、そして僧・道鏡をめぐる宇佐八幡宮神託事件(769年)など、皇位や政権の主導権をめぐる緊張が続きました。南九州では隼人の反乱(720年)も起こり、律令国家が地方へと支配を広げていく過程での摩擦もうかがえます。
- 戦い・事件編【戦い・事件編】隼人の反乱――大伴旅人が率いた南九州征討、「斬首・捕虜1400余人」
養老4年、720年2月29日。 九州を統轄する大宰府から、平城京の朝廷へ報告が届いた。
記事を読む » - 人物編【人物編 Vol.12】大伴旅人――隼人征討から「令和」の典拠・梅花の宴へ
天平2年(730)正月13日。 大宰帥・大伴旅人の邸宅に、大宰府や九州諸国の官人たちが集まった。 庭には白い梅が咲いていた。 参加者たちは梅を眺めながら酒を酌み交わし、それぞれ歌を詠んだ。
記事を読む » - 戦い・事件編【戦い・事件編】藤原広嗣の乱――なぜ藤原広嗣は1万余の兵を率いて朝廷に反乱したのか? 740年、板櫃川の戦い
天平12年(740)10月9日。 豊前国を流れる板櫃川を挟み、二つの軍勢が向かい合っていた。 西岸には藤原広嗣。 その兵力は1万余。 東岸には朝廷の追討軍6,000余が布陣していた。
記事を読む » - 戦い・事件編【戦い・事件編】橘奈良麻呂の変――藤原仲麻呂打倒計画はなぜ実行前に潰れたのか、757年の密告と一斉逮捕
757年(天平勝宝9歳)7月2日。 藤原仲麻呂のもとへ、一人の官人から密告が入った。 告発したのは上道斐太都。
記事を読む » - 人物編【人物編 Vol.19】藤原仲麻呂(恵美押勝)――光明皇太后の信任から淳仁天皇、764年の最期まで
天平宝字8年(764)9月18日。 近江国高島郡の勝野鬼江。 藤原仲麻呂は、琵琶湖へ逃れようとしたところを石村村主石楯に捕らえられ、斬首された。
記事を読む » - 人物編【人物編 Vol.20】吉備真備――18年の唐留学から藤原仲麻呂の乱、右大臣まで
天平宝字8年(764)。 藤原仲麻呂と孝謙上皇側の対立が、武力衝突へ発展した。 その追討側に加わった一人が、吉備真備だった。 このとき真備は70歳前後。
記事を読む » - 戦い・事件編【戦い・事件編】なぜ最高権力者・藤原仲麻呂は8日で敗れたのか?――恵美押勝の乱と764年の政変
天平宝字8年(764)9月18日。 琵琶湖西岸の近江国高島郡。 かつて朝廷の最高位にまで昇った藤原仲麻呂は、追討軍に追い詰められていた。
記事を読む » - 戦い・事件編【戦い・事件編】宇佐八幡宮神託事件――道鏡はなぜ天皇になれなかったのか? 769年、和気清麻呂が持ち帰った神託
神護景雲3年(769)。 九州の宇佐八幡から、奈良の朝廷を揺るがす神託がもたらされた。 「道鏡を皇位につければ、天下は太平になる」 道鏡は皇族ではない。
記事を読む » - 人物編【人物編 Vol.21】道鏡――孝謙上皇の看病から法王へ、宇佐八幡宮神託事件と失脚
宝亀元年(770)8月21日。 一人の僧が、平城京を離れることになった。 道鏡。 わずか4年前には「法王」となり、天皇に準じる特別な待遇を受けていた人物である。
記事を読む » - 人物編【人物編 Vol.22】和気清麻呂――道鏡と宇佐八幡宮神託事件、平安京遷都まで
神護景雲3年(769)。 宇佐八幡宮から都へ戻った一人の官人が、皇位継承に関わる神託を朝廷へ奏上した。 和気清麻呂。
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